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2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真4  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

 ニュージーランドの写真で「ポスト・コロニアリズム」とあわせ、もう一つ感じられたものとして「ゴシック」が挙げられる。レイハナやキハラの作品には、ニュージーランドの開拓がはじまったころのヴィクトリア時代のゴシック調のファッションが用いられることが多いが、(マイケル・ナイマンのピアノ曲が美しいジェーン・カンピオン監督の映画「ピアノ・レッスン(The Piano)」(1993)は、1850年代のニュージーランドが舞台だったが、そこでもヴィクトリア朝の服を着た主人公が荒涼とした海辺と森をさまようコントラストが印象的だった)、それだけでなく、暗く闇に沈んだ部分に焦点を当てる美術、文学作品がニュージーランドには多いとされる。
 アートの文脈でゴシックが注目されるのは、1980年代後半から1990年代初にかけて盛んに唱えられるようになったバイカルチュラリズム(マオリとヨーロッパ系パケハとの共生)や、多文化主義の影響があるようだ。先にも述べたように、70年代のマオリルネサンスの影響、そして80年代のワイタンギ条約の中に記載されているマオリの権利に対する見直しや、それに伴うマオリの言語や文化の尊重に対する世論の高まりによって、アートの文脈でもマオリに対する意識が深まる。その結果、風光明媚な自然にあふれた明るい国としてのニュージーランドだけではなく、マオリ文化とその抑圧を背景に抱いた土地として、闇の部分も掘り起こされるようになる。また、1995年に俳優のサム・ニールが自身の幼少時代を振り返りながら、ニュージーランド映画に蔓延する隠された狂気と残忍さ、ゴシック・イマジネーションに焦点をあてて制作したドキュメンタリー映画「Cinema of Unease」も、大きな影響力があったようだ。
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   イヴォンヌ・トッド「クリーミー・サイコロジー」展(Wellington City Gallery)カタログ

 ニュージーランド滞在中にウェリントン・シティ・ギャラリーで、ギャラリー初の全館をあげての個展「Creamy Psychology」を開催していたイヴォンヌ・トッド(Ivonne Todd b.1973)も、ゴシックと関連づけられて語られることが多い作家だ。会場には彼女がインスピレーションを受けた源泉として、愛読書やファッション雑誌、映画なども参照できるコーナーがあり、トッドは10代からゴシック・ロマンスの小説(V・C・アンドリュースの代表作で、屋根裏に閉じ込められた兄弟の異常な生活を描いた「屋根裏部屋の花たち」など)を愛読していたそうだ。
 トッドの作品のなかでは、女性が重要な位置を占めている。彼女はコスチュームは歴史に縛られたものと考えるが、入念に選ばれたコスチュームを身に着け、虚ろな視線を向ける女性のポートレイトは、どこかヴァンパイア的にも病的にも見える。トッドはまなざしと服装、髪型以外にはほとんど何の情報もないような形で被写体をスタジオで撮影し、デジタル処理を施すことによって、彼女たちの視線と存在の背後に隠れた悲しみや、倦怠感、ナルシスムを浮き彫りにする。ゴシック小説の背景の大部分は、家庭に縛られた女性たちの心の闇が支配しているが、トッドの写真はそうした女性のゴシックな部分に光をあてる。


 ギャビン・ヒプキンス(Gavin Hipkins b.1968)の「The Homely」シリーズ(1997-2000)は、彼自身が「ポストコロニアル・ゴッシク小説」と呼ぶものだ。このシリーズの前に、ヒプキンスは国立図書館が所蔵する、商人で本コレクターだったアレキサンダー・ターンブル(1868-1918)の写真コレクションを用いた「The Unhomely」(1997)と「Folklore: The New Zealanders」(1998)という展覧会をキュレーションしているが、そのなかで彼はこれまで「ニュージーランド」として認識されてきたものは何であり、その背後には何が隠されてきたかについて考察した。Unhomelyはフロイトが唱えた「Unheimlich(不気味なもの)」も意識されているようだが、ニュージーランドを考えられる上で抑圧された部分にも焦点をあてようというのだろう。
 「The Homely」は、オーストラリアとニュージーランドで4年にかけて撮影した80点組の作品で、これまで国と民族を規定するものとして考えられてきた歴史的な場所のほかに、バーガーショップや友人の家などのありふれた対象が、断片的な仕方で撮影、配列されている。緑にあふれ明るい光が差す美しい牧歌的なニュージーランドでも、コロニアルの歴史を抱え、暗い森を有したゴシックなニュージーランドでもない形で、馴染みの風景のなかに潜む抑圧されたものを一連のシリーズのなかで浮かび上がらせようとするとのことだが、ニュージーランド人にとってどれが歴史的で、馴染みの風景なのかもわからない私にとっては、そこに隠された抑圧的な部分まで見通すことはできなかった。
 ヒプキンスは自分の作品においてシュルレアリスム的な要素と、建築とが重要な意味を持つと語っていたが、作品を一つの完結したものとして考えるのではなく、先行イメージや作品間の関係、建築的空間と観者との関係もすべて含めたものとしてとらえている。そのために、展示の仕方も重要な意味をもち、このシリーズではすべて縦位置の作品が間に隙間をもうけず、映画のシークエンスを見るような形で続いていく。それは見られるだけでなく、読まれるべきテクストとしてもあるのだろう。「読む」ための素養がないものにとってはなかなか判読は難しいが、フィクションと現実のはざまにある何かに迫ろうとする、スタイリッシュ、かつ知的でウィットに富んだ作品として際立っていた。
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   ギャヴィン・ヒプキンス アーティストブック


 大型でハイパーリアルな作品で注目を集めるアン・シェルトン(Ann Shelton b.1967)も、ニュージーランドの暗い歴史を掘り起こす作品を発表している点において、ゴシックな作家と言われることがある。ウェリントンで19~20世紀にかけて行われた処刑場所を撮影したシリーズ「Capital」(2010)や、精神病院を撮影した「Once More from the Street」、1900年代前半に創設された薬物、アルコール依存症のリハビリ施設(女性棟)を撮影した「Room Room」(2008)など。シェルトンは地方にあるゴシック的な狂気に満ちた場所や廃墟を撮影することを通して、何が記憶され、何が隠されているのか、風景から何が読み取れるのかを問いかける。
 彼女の作品に特徴的なのは、それを左右反転あるいは上下反転させた二枚組の写真によって提示するところだ。一点透視法によって強調される真実は一つといった気分に違和を差し挟み、不確かさや欺瞞を提示するために、写真というメディアの複製性をうまく活用した「二重化(Doubling)」の試み。シェルトンはそれを、「視覚的などもり(Visual Stammering)」ともいえるものだと説明していた。一見何もないような場所に見えるが、実は…といった手法はそれほど新鮮味のない手法だろうが、大型カメラで細部まで精密に描写された大きな写真が二対になって目の前にあると、それ自体がある特異な視覚体験となる。ぜひ現物を見て欲しい作品だ。
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  アン・シェルトン「a kind of sleep」(Govett-Brewster Art Gallery)より
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参照)
イヴォンヌ・トッド Yvonne Todd http://www.ervon.com/
ギャビン・ヒプキンス Gavin Hipkins http://www.art-newzealand.com/Issue109/hipkins.htm
アン・シェルトン Ann Shelton http://www.annshelton.com/
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by curatory | 2015-05-12 16:57 | 海外作家賞


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