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2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真5  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

 ニュージーランドにおける現代写真の祖ともいわれるローレンス・アーバハート(Laurence Aberhart b.1949)は、1970年代中ごろから、100年ほど前に作られた8×10の大判カメラを使って、ニュージーランドの小さい町の建物や文化(植民地時代に関係のある場所や建物、ランドスケープ、マオリの集会所、戦争記念碑、博物館など)に、時間や都市化がどういった影響を及ぼしてきたかをドキュメントしたシリーズを制作している。彼の作品はゴシックを想起させるものではないが、ニュージーランドの歴史や風景がはらんだ表裏の意味を考えるうえで、先駆的で重要な仕事をしてきた作家として、1980年代半ばの多文化主義の議論のなかでも高い評価を得ている。
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   ローレンス・アーバハート「aberhart」(Victoria University Press、2007年)より

 建物を左右対称に正面からとらえ、内部空間にも目を向けた手法は、ウォーカー・エヴァンスを思わせる。(アーバハートには、エヴァンスが数多くの写真を写したアメリカ、ミシシッピー州のヴィックスバーグで撮影した「Vicksburg, Mississippi 1988. (Referential to Walker Evans and a joke in the decorative style)」という作品もある。)タイポロジー的な要素も強い彼の作品だが、1881年に植民地軍隊にとらえられたマオリの囚人が、監獄の窓のスリットから遠望したと思われる風景をとらえた「囚人の夢(The Prisoners’ Dream)」(1999-2000)などは、情感を誘う作品となっており、エヴァンスのいうリリック・ドキュメンタリーをある意味踏襲しているのだろう。
 「ANZAK」は1980年から2013年にかけて、オーストラリア、ニュージーランド各地に建てられている第一次世界大戦で戦死した兵士の記念碑を撮影したシリーズ。これらの記念碑は、第一次大戦の記憶として、国民の誇りや悲しみを表す公共スペースとして建造されたが、終戦から100年が経とうする現在、その多くが都市化の過程で忘れられたオブジェと化している。アーバハートは、風景のなかに紛れた歴史的存在に焦点をあてることによって、それらを社会的風景として認識してもらいたいと考える。ストイックな寡黙さを保ちつつ、被写体に語らせようとする彼の写真は、安易な解釈をはねつける強さがある。


 ニュージーランドのソーシャル・ランドスケープということを考えたときに、ウェイン・バーラー(Wayne Barrar b.1957)は外せない。19世紀にニュージーランドで撮影された初期写真や、ニュー・トポグラフィックス展(ジョージ・イーストマンハウス、1975年)などへの関心から、1980年代半ばから人間と自然の関係、「土地(Land)」がいかに支配、利用、居住されてきたかということをテーマとしたシリーズを作っている。ニュージーランド南島にある有名な塩田で、もっとも人工的に工業的な手が加えられた場所ともいえるグラスミア湖を撮影した「Saltworks: The Processed Landscape」(1987-1989)、ニュージーランドだけでなくアメリカ、オーストラリアなど、鉱物などを採掘した後の地下の空間を再利用している建築を撮影した「An Expanding Subterra」(2002-2009)、ニュージーランドに侵入してきた鯉や水藻の一種であるディディーモといった外来生物の爆発的な増殖をテーマとした「Imaging Biosecurity」(2007-2009)シリーズなど、人と自然の共生関係を問いかける、興味深い作品を制作している。
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   ウェイン・バーラー「An Expanding Subterra」(Dunedin Public Art Gallery, 2010)、「Bio Borders Animals and Plants in a Globalised Landscape」(PATAKA, 2012)


 人と自然の共生というテーマからいうと、今年の海外作家賞を受賞したアン・ノーブル(Anne Noble b.1954)の「Antarctica」シリーズ(特に写真集『The Last Road』(2014)としてまとめられたもの)も、人間が南極大陸に与えた影響に目を向けている。崇高で無垢な未開地として人々に想像されてきた南極の土地を、人がいかに開拓し、足跡を残してきたかという赤裸々な現実を、ノーブルはシニカルともいえる形で突きつける。屋外の小便用の目印に立てられた黄色いポールと、その下を黄色に染める小便の滲みをとらえた「Piss Pole」(2008)や、真っ白で無垢なはずの南極の雪上を容赦なく前進する、薄汚れてカラフルなトラクターに書きつけられた、軍隊の名残も感じさせる女性名の愛称にクローズアップした「Bitch in Slippers」(2008)、地面の土が露わになり、様々な建築資材やコンテナ、電線が立ち並ぶ南極半島北東端にあるロス島の殺風景な光景など。
 同じく南極をテーマにした写真集『Ice Blink』(2011)では、南極の観光スポットと、世界界各地の南極をテーマにした水族館やディスカバリーセンターで撮影された写真を組み合わせ、南極という言葉で我々が連想する従来の視覚イメージを探究する。見渡す限りの氷の白と青い海、ペンギンやアザラシが群れるユートピア―――南極に対する私たちの想像力はいかに貧困で脆弱なことか。しかし、もう一方では、観光客が群れる現実の南極のスポットも、水族館のジオラマと同じくらい単調な風景として写しだされる。ノーブルの写真は想像と現実のギャップをテーマにするだけではなく、想像と現実がいかに手を携えて人の欲望に応えた風景を創出するか、写真がそうしたイメージ形成にどういう役割を果たしてきたかということを問いかけている。
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   アン・ノーブル「Ice Blink](Clouds, 2011) 「The Last Road」(Clouds, 2014)より

 ニュージーランドと南極は切っても切れない関係にあり、1820年に南極大陸が発見されて以来、南極探検の補給基地として重要な役割を果たしてきた。アートの分野でも、写真家、詩人、作曲家といったアーティストが南極にて作品を制作するのを支援する南極アーツフェローという助成制度があり、ノーブルの他にも、アーバハートや、ミーガン・ジェンキンソン(Megan Jenkinson b.1958)といった数多くの写真家が、南極大陸を訪れ作品を作っている。ジェンキンソンはゲーテの色彩論をもとにした作品や、視点の移動によって図像が変わって見えるレンティキュラーレンズを使った作品など、視覚のあり方を問いかける繊細で美しい作品を発表している。澄み切った南極の風景のなかに、ピンクや紫といった、まばゆい光のスペクトルでできたオーロラを合成で組み込んだ作品は、写真の原理にも通じる、感覚と科学のあり方を問いかけるものだ。
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  ミーガン・ジェンキンソン「Atmospheric Optics」(2009)、「Phyto-Plasts」(Two Rooms Gallery, 2014)

 駆け足で今回のノミネートにも挙がったニュージーランドで活躍中の写真家たちを紹介してきたが、他にもアーバハートと並んでNZ現代写真の祖とされるピーター・ペライヤ(Peter Peryer b.1941)や、古典技法を用いながら写真発明初期に数多く生み出された幽霊的存在を再現させるベン・カウチ(Ben Cauchi b.1974)など、たくさんの興味深い写真家の作品を知ることができた。
 ニュージーランドは、辺境の島国という点においては、日本とも閉鎖性、凝集性において通じるところが多いだろう。写真においても独自の文化を形成しているように思われた。何よりも開拓地としての北海道と共通する点が非常に多いことが面白く、写真表現の可能性を考える上でも参考になる。
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   ピーター・ペライヤ「Peter Peryer photographer」(Auckland University Press, 2008)より
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   ベン・カウチ「The Evening Hours」(Victoria University Press, 2013)より

  最後に、貴重な時間を割いてお会いいただいた写真家の方々、全面的な協力をいただいたオークランド写真フェスティバルのジュリア・ダ―キン氏ほかスタッフの方々、収蔵庫の作品を惜しげもなく見せてくださったニュージーランド国立博物館写真専門キュレーターのアソル・マッククレディ氏、アーティストの推薦をいただいたヴィクトリア大学のジェフリー・バッチェン氏、McNamara Galleryのポール・マクナマラ氏、Two Rooms Galleryのマリー・ルイズ・ブラウン氏、そのほかご協力いただいた皆さまに心からのお礼を申し上げます。



参照)
ローレンス・アーバハート Laurence Aberhart http://laurenceaberhart.com/
ウェイン・バーラー Wayne Barrar http://waynebarrar.com/
アン・ノーブル Anne Noble http://tworooms.co.nz/artists/anne-noble/
ミーガン・ジェンキンソン Megan Jenkinson http://tworooms.co.nz/artists/megan-jenkinson/
ピーター・ペライヤ Peter Peryer http://peryer.blogspot.jp/
ベン・カウチ Ben Cauchi http://www.bencauchi.com/
マクナマラ・ギャラリー McNamara Gallery ワンガヌイにある写真専門ギャラリー http://www.mcnamara.co.nz/ 
Two Rooms Gallery  http://tworooms.co.nz/
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by curatory | 2015-05-12 16:58 | 海外作家賞
2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真4  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

 ニュージーランドの写真で「ポスト・コロニアリズム」とあわせ、もう一つ感じられたものとして「ゴシック」が挙げられる。レイハナやキハラの作品には、ニュージーランドの開拓がはじまったころのヴィクトリア時代のゴシック調のファッションが用いられることが多いが、(マイケル・ナイマンのピアノ曲が美しいジェーン・カンピオン監督の映画「ピアノ・レッスン(The Piano)」(1993)は、1850年代のニュージーランドが舞台だったが、そこでもヴィクトリア朝の服を着た主人公が荒涼とした海辺と森をさまようコントラストが印象的だった)、それだけでなく、暗く闇に沈んだ部分に焦点を当てる美術、文学作品がニュージーランドには多いとされる。
 アートの文脈でゴシックが注目されるのは、1980年代後半から1990年代初にかけて盛んに唱えられるようになったバイカルチュラリズム(マオリとヨーロッパ系パケハとの共生)や、多文化主義の影響があるようだ。先にも述べたように、70年代のマオリルネサンスの影響、そして80年代のワイタンギ条約の中に記載されているマオリの権利に対する見直しや、それに伴うマオリの言語や文化の尊重に対する世論の高まりによって、アートの文脈でもマオリに対する意識が深まる。その結果、風光明媚な自然にあふれた明るい国としてのニュージーランドだけではなく、マオリ文化とその抑圧を背景に抱いた土地として、闇の部分も掘り起こされるようになる。また、1995年に俳優のサム・ニールが自身の幼少時代を振り返りながら、ニュージーランド映画に蔓延する隠された狂気と残忍さ、ゴシック・イマジネーションに焦点をあてて制作したドキュメンタリー映画「Cinema of Unease」も、大きな影響力があったようだ。
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   イヴォンヌ・トッド「クリーミー・サイコロジー」展(Wellington City Gallery)カタログ

 ニュージーランド滞在中にウェリントン・シティ・ギャラリーで、ギャラリー初の全館をあげての個展「Creamy Psychology」を開催していたイヴォンヌ・トッド(Ivonne Todd b.1973)も、ゴシックと関連づけられて語られることが多い作家だ。会場には彼女がインスピレーションを受けた源泉として、愛読書やファッション雑誌、映画なども参照できるコーナーがあり、トッドは10代からゴシック・ロマンスの小説(V・C・アンドリュースの代表作で、屋根裏に閉じ込められた兄弟の異常な生活を描いた「屋根裏部屋の花たち」など)を愛読していたそうだ。
 トッドの作品のなかでは、女性が重要な位置を占めている。彼女はコスチュームは歴史に縛られたものと考えるが、入念に選ばれたコスチュームを身に着け、虚ろな視線を向ける女性のポートレイトは、どこかヴァンパイア的にも病的にも見える。トッドはまなざしと服装、髪型以外にはほとんど何の情報もないような形で被写体をスタジオで撮影し、デジタル処理を施すことによって、彼女たちの視線と存在の背後に隠れた悲しみや、倦怠感、ナルシスムを浮き彫りにする。ゴシック小説の背景の大部分は、家庭に縛られた女性たちの心の闇が支配しているが、トッドの写真はそうした女性のゴシックな部分に光をあてる。


 ギャビン・ヒプキンス(Gavin Hipkins b.1968)の「The Homely」シリーズ(1997-2000)は、彼自身が「ポストコロニアル・ゴッシク小説」と呼ぶものだ。このシリーズの前に、ヒプキンスは国立図書館が所蔵する、商人で本コレクターだったアレキサンダー・ターンブル(1868-1918)の写真コレクションを用いた「The Unhomely」(1997)と「Folklore: The New Zealanders」(1998)という展覧会をキュレーションしているが、そのなかで彼はこれまで「ニュージーランド」として認識されてきたものは何であり、その背後には何が隠されてきたかについて考察した。Unhomelyはフロイトが唱えた「Unheimlich(不気味なもの)」も意識されているようだが、ニュージーランドを考えられる上で抑圧された部分にも焦点をあてようというのだろう。
 「The Homely」は、オーストラリアとニュージーランドで4年にかけて撮影した80点組の作品で、これまで国と民族を規定するものとして考えられてきた歴史的な場所のほかに、バーガーショップや友人の家などのありふれた対象が、断片的な仕方で撮影、配列されている。緑にあふれ明るい光が差す美しい牧歌的なニュージーランドでも、コロニアルの歴史を抱え、暗い森を有したゴシックなニュージーランドでもない形で、馴染みの風景のなかに潜む抑圧されたものを一連のシリーズのなかで浮かび上がらせようとするとのことだが、ニュージーランド人にとってどれが歴史的で、馴染みの風景なのかもわからない私にとっては、そこに隠された抑圧的な部分まで見通すことはできなかった。
 ヒプキンスは自分の作品においてシュルレアリスム的な要素と、建築とが重要な意味を持つと語っていたが、作品を一つの完結したものとして考えるのではなく、先行イメージや作品間の関係、建築的空間と観者との関係もすべて含めたものとしてとらえている。そのために、展示の仕方も重要な意味をもち、このシリーズではすべて縦位置の作品が間に隙間をもうけず、映画のシークエンスを見るような形で続いていく。それは見られるだけでなく、読まれるべきテクストとしてもあるのだろう。「読む」ための素養がないものにとってはなかなか判読は難しいが、フィクションと現実のはざまにある何かに迫ろうとする、スタイリッシュ、かつ知的でウィットに富んだ作品として際立っていた。
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   ギャヴィン・ヒプキンス アーティストブック


 大型でハイパーリアルな作品で注目を集めるアン・シェルトン(Ann Shelton b.1967)も、ニュージーランドの暗い歴史を掘り起こす作品を発表している点において、ゴシックな作家と言われることがある。ウェリントンで19~20世紀にかけて行われた処刑場所を撮影したシリーズ「Capital」(2010)や、精神病院を撮影した「Once More from the Street」、1900年代前半に創設された薬物、アルコール依存症のリハビリ施設(女性棟)を撮影した「Room Room」(2008)など。シェルトンは地方にあるゴシック的な狂気に満ちた場所や廃墟を撮影することを通して、何が記憶され、何が隠されているのか、風景から何が読み取れるのかを問いかける。
 彼女の作品に特徴的なのは、それを左右反転あるいは上下反転させた二枚組の写真によって提示するところだ。一点透視法によって強調される真実は一つといった気分に違和を差し挟み、不確かさや欺瞞を提示するために、写真というメディアの複製性をうまく活用した「二重化(Doubling)」の試み。シェルトンはそれを、「視覚的などもり(Visual Stammering)」ともいえるものだと説明していた。一見何もないような場所に見えるが、実は…といった手法はそれほど新鮮味のない手法だろうが、大型カメラで細部まで精密に描写された大きな写真が二対になって目の前にあると、それ自体がある特異な視覚体験となる。ぜひ現物を見て欲しい作品だ。
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  アン・シェルトン「a kind of sleep」(Govett-Brewster Art Gallery)より
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参照)
イヴォンヌ・トッド Yvonne Todd http://www.ervon.com/
ギャビン・ヒプキンス Gavin Hipkins http://www.art-newzealand.com/Issue109/hipkins.htm
アン・シェルトン Ann Shelton http://www.annshelton.com/
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by curatory | 2015-05-12 16:57 | 海外作家賞
2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真3  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

  ポスト・コロニアルをテーマの中心に据えたもう一人のアーティストが、シゲユキ・キハラ(Shigeyuki Kihara b.1975)だ。ニュージーランドに行く前から、今もっとも旬でアクティブなアーティストとして、関係者から強く推薦されていた。サモア人の母と日本人の父を持ち、現在はサモアとオークランドに拠点を置いて活動しているキハラは、植民地時代におけるポリネシア人に向けられた好奇の眼を題材にパフォーマンスを行うほか、それをビデオや写真としても発表している。西サモアは1920年から62年までニュージーランドの委任統治領となっており、マーク・アダムスが撮影していたサモア人タトゥーイストもそうだが、サモア系ニュージーランド人の数は多い。
 さらにサモアはニュージーランドに統治される前の1900年から1914年まではドイツの植民地で、その間にサモア人はドイツの各地でVölkerschau(人間動物園、人間展示)としてその文化と生態を売り物にするエキゾティックな見世物に供された。そのことに想をえて作られたキハラのパフォーマンス「Culture for sale」は、2011年にベルリンではじめて発表されたもの。サモア人のダンサーが、観客がお金を払った時にだけ短い踊りを踊るというもので、権力(お金)がいかに文化的、社会的、政治的、精神的なコンテクストに影響を及ぼすかということを観客に問いかける。
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 また、2004年に発表した「Fa’afafine: In a Manner of a Woman」(2008年にはニューヨークのメトロポリタンミュージアムで展覧会も開かれた)は、ポリネシア人たちをエキゾティックなまなざしで描いた19世紀の絵葉書や写真を真似て作られている。ファアファフィネ(Fa’afafine)はサモアでは第三の性を表す言葉で、男性として生まれながらも、女性的な素質をもった人物をあらわす。サモア文化のなかではその存在は伝統的に公に認められてきたそうだ。キハラ自身もファアファフィネで、男性として生まれながらも、現在では女性として生活している。
 この作品は三連の写真からなり、一枚目は熱帯の植物を背景にアンティーク調の長椅子に胸をあらわにした上半身を起こして横たわる女性が、19世紀のエキゾティックな写真に典型的な仕方で撮影されている。二枚目では女性の腰蓑がとられて陰部が露わになり、三枚目では陰部から男性器がのぞいている。
 キハラは西洋人がポリネシア人に対して向けたロマンティシズムとオリエンタリズムに満ちた視線を問うとともに、セックスシンボルとしての女性、女性/男性という区分についても問いを投げかける。作品「サモア人カップル」でも、サモア人に典型的と思われる服装と持ち物をした男女が並んで写されているが、両者はともにキハラ自身が扮したもので、男性の下半身には別の人物の写真が合成されている。キハラは性による二分法や、文化的ステレオタイプに問いを投げかけることによって、自らのアイデンティティの在処を探るとともに、他者から押し付けられた視線に対する異議申し立てを行っているのだろう。

 マオリ出身のメディア・アーティスト、リサ・レイハナ(Lisa Reihana b.1964)もポスト・コロニアリズムの文脈で語られることが多いが、彼女の「デジタル・マラエ」(2001-)シリーズはコロニアル(マオリ)対西欧といった枠組みだけには収まらない、文化的な多様性をもった現代社会を浮き彫りにした作品だ。マラエは集会場を意味する言葉で、マオリ社会においては祖先の霊が宿る神聖な場所として重要な意味をもつ。この作品のなかでは、マオリの神聖な祖先たちが、デジタル処理されたハイパーリアルで現代的なセッティングの下に撮影されている。たとえば、マオリの戦いの神がサーフィングをし、顔に刺青を施した男性が19世紀のヴィクトリア朝の黒づくめのダンディな服装をし、コルビジェの椅子に座っている。コマーシャル写真の撮影のように明るいライトを浴び、暗いバックのなかから浮き上がるようにして写しだされた人物たちは、等身大以上のサイズに引き伸ばされていることもあわさって、圧倒的な存在感を放っている。レイハナはこの作品のなかで、マオリ社会の古代からの価値を、現代の枠組みのなかへ位置づけることを通じて、作品のなかでこそ成立する現代的なマラエを創出しようとしているかのようだ。
 
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   リサ・レイハナ「Digital Marae」展(Govett-Brewster Art Gallery)カタログより




参照)
シゲユキ・キハラ Shigeyuki Kihara http://shigeyukikihara.com/
リサ・レイハナ Lisa Reihana http://www.inpursuitofvenus.com/
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by curatory | 2015-05-12 16:56 | 海外作家賞
2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真2  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

 マオリ系の出自ではないヨーロッパ系(パケハ)写真家のなかで、マオリの問題に真っ向から取り組んでいるのが、マーク・アダムス(Mark Adams b.1949)だろう。オークランドに住んでいると聞いていたが、すでに居を移していたため会うことは叶わなかったが、オークランド空港に近いマンジェレ・アーツ・センターにて個展「Sign Here」(Mangere Arts Centre, 17 January- 1 March, 2015)が開催されていた。ここはマオリの居住者の割合が高いというマンジェレ地区にある、マオリとパシフィックのビジュアル・アーツに重点を置いた文化施設だ。ワイタンギ条約締結175周年を記念しての展覧会で、アダムスが1990年代に国立博物館(テ・パパ)からコミッションされた、ワイタンギ条約が締結された場所を調査し、署名者がかつてそこに立ったと思われる場所を突き止め、撮影するプロジェクトの写真が展示されていた。アダムスはそれを何分割かしたパノラマ写真によって示す。ワイタンギ条約が、イギリス人とマオリによってまるで違う意味をもったように、写真が事実を伝えることには限界があり、分割された写真と写真の合間には、別の視点が入り込む余地があることを暗示している。

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   マーク・アダムス「Sign Here」展(マンジェレ・アーツ・センター)展示風景

 アダムスは大判のフィルムカメラを使って撮影をするが、それは写真が発明された初期に使われていたガラス・プレート版のカメラを想起させもする。1839年にダゲレオタイプがフランス化学・芸術アカデミーで発表され、写真が発明されたまさにその時期と、ニュージーランドの入植が本格化する時期とは密接に重なり合う。カメラのテクノロジーと国家の発展とが手を携え、写真は国家とランドスケープが創り上げられていく過程のドキュメントとして積極的に用いられた。そうしたことに意識的なニュージーランドの写真家にとって、写真を撮ることと自国の歴史を考えることは、切っても切れない関係にある。
 アダムスの「Cook’s Site」プロジェクトは、ジェームズ・クックが第二回探検航海(1772-75)で足を踏み入れた場所や、同伴した画家ウィリアム・ホッジスが、タヒチやニュージーランド南島南西端にあるダスキー・サウンドで描いた場所、そしてその絵が現在飾られているイギリスのグリニッジにある国立軍事博物館などを訪れ、撮影したものだ。クックが当時目を向けた風景は現在もそこに残っているのか、ホッジスは絵画にどのような現実や理想を描きだそうとしたのか、ホッジスの絵画を展示している博物館は何を表象しているのか―――このプロジェクトはアダムスにとって、人が新たなる土地をまなざし、支配下に置いていったプロセスを問う試みでもあり、そこには何層もの視線と表象の問題が折り重なっている。
 アダムスは他にもニュージーランド在住のサモア人のタトゥーイスト、故パオロ・スルアペが施したタトゥーを長年にわたって撮影したシリーズなどが有名だ。こうしたプロジェクトの背後には、太平洋地域のコロニアリズムがいかなるクロスカルチュアルな歴史を辿ってきたかというテーマが通底しているのだという。

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 マオリとスコットランド人の祖先をもつフィオナ・パーディントン(Fiona Pardington b.1961)も、コロニアリズムの視線を問いかける作品で際立った存在感を発している。彼女の作品は視覚性だけでなく、触覚性に訴えかける要素も強く、コロニアリズムの問題だけでなく、視線、写真の複製性、光、時間の問題など、その関心は多岐にわたる。パーディントンは1990年代後半から、エロティックなファウンド・フォトを再撮影したシリーズなど、ジェンダーや、見る/見られる関係について問いかける作品を制作していた。その延長上に、オークランド戦争博物館に収蔵されているマオリの伝統的なネフライト製人型ペンダントであるヘイティキを撮影した「Mauria Mai」(2001)のシリーズがある。ヘイティキは、マオリの神話にでてくる最初の人間ティキを具現化したものとされ、一族の宝として手から手へ渡されてきたものだ。通常10㎝ほどのサイズの魔術的な異形の人型ヘイティキが人間の赤ちゃんくらいの大きさにまで引き伸ばされ、モノクロプリントの深く沈んだ黒をバックに、なめらかな陰影をもって写しだされたその作品は、物に宿る命や魔術の存在、行き場を失った魂についても考えさせる。そこには魂、魂を象ったモノ、それを写した写真という、表象を巡る入れ子状の関係が写しだされている。さらに、タイトルに博物館の整理番号が付されることによって、その宝の前の持ち主や、それが博物館の収蔵品になっていることの意味についても考えさせられる。
 2007年、パーディントンは自分のマオリの祖先のライフキャスト(石膏取り胸像)がパリにあることを耳にする。興味をもった彼女はリサーチによって、それがフランス人探検家ジュール・デュモン・デュルヴィル(Jules Sebastien Cesar Dumont d'Urville 1790-1842、エーゲ海ミロス島で発見されたばかりのミロのヴィーナスを、フランス政府に購入させる交渉をした人物としても有名)の第三回フランス海軍南極探検(1837-40)に同行した、骨相学者ピエール・マリー・アレクサンドル・デュムティエ(Pierre-Marie Alexandre Dumoutier 1797-1871)が、ニュージーランドを含むポリネシアの島々を巡った際に作ったものであることを知る。そのうちの50体ほどが、パリの人類博物館に収蔵されている。(ちなみにこの人類博物館には、ホッテントットのヴィーナスと呼ばれたサラ・バートマンのライフキャストも1974年まで展示されていたという。また、デュルビルがニュージーランドのベイ・オブ・アイランズに到着したのは1940年4月のことで、ワイタンギ条約が結ばれた2か月後だった。デュムティエが作ったライフキャストには、ワイタンギ条約に調印した部族長の一人もいたそうだ。)

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   フィオナ・パーディントン 「Ahua: A beautiful hesitation」(Otago University Press, 2011)

 2010年、パーディントンはこれらのライフキャストを撮影する許可をえて、「Ahua: A beautiful hesitation」シリーズとして発表した。写真が発明される以前に制作されたこれらのライフキャストは、正確な似姿を写すものとして、原・写真ともいえるものだとパーディントンは語る。正確な記録をとろうとする情熱と、その記録から人の内面まで見通すことができると考える19世紀の知性。骨相学は頭蓋を計測することによって、人の気質や性格までもが測定できると考えた。さらに、マオリたちの顔に彫られた刺青(モコ)は、傷口に色素をいれるタトゥーと違い、表面に深く傷をつけることによって模様を作るので、ライフキャストにもその跡が浮かび上がる。モコの模様からは、血族や所属集団などの情報までもが、はっきりと読み取ることができる。同じ頭部のライフキャストでも、西欧とマオリによって、その読み取り方がまったく違うということを、これらのライフキャストは同時に示しているだろう。マオリと西欧の知と視線の差異について、非常に明解に示すものであるとともに、ライフキャストの圧倒的な存在感は、魂をもったヘイティキのあり方にもどこかで通じているように感じられた。

 パーディントンのこのシリーズを見てすぐに思い浮かんだのが、昨年度の海外作家賞(フィンランド)を受賞したヨルマ・プラーネン(Jorma Puranen b.1951)の作品だ。彼の「Imaginary Homecoming」シリーズも、パリの人類博物館に収蔵されていた、1884年にフランス人写真家G.ロッシュがローラン・ボナパルトのラップランド探検に同行した際に撮影したラップランド先住民のサーミ人の写真を扱ったものだ。プラーネンは収蔵されていた写真を再撮影し、被写体となったサーミ人たちが撮影されたと思われる元の場所にリプリントした写真を配置し、風景のなかで撮影するというプロジェクトを行った。彼は写真がそのはじまりから地理的探検や植民地主義と分かちがたく結びついていることに注目し、写真を用いることを通して、風景に新たな意味を与えようとする。そのためには「想像力」が必要で、サーミ人たちの想像上の帰郷から浮かび上がる新しい風景を、写真から見通すことができればと考える。
 プラーネンは1970年代後半から盛んに唱えられていたポスト・コロニアリズムの洗礼を受けた作家だが、ニュージーランドの写真家たちのポスト・コロニアリズムへの同様の関心を話したところ、おそらく根っこは一緒のところにあるのだろうと言っていた。ニュージーランドとフィンランド。この二つの国に、私自身、はじめは何の共通点も感じていなかった。だが、北と南のかつては探検されるべき辺境の土地にあり、さらには南極と北極という、極限的で崇高なイメージが投影される場所への入り口としての役割も担い、原住民の問題も抱えるという点において両者は密接につながっていた。地球の円環が一気に閉じるような、目が覚める思いがした。



参照)
マーク・アダムス Mark Adams http://tworooms.co.nz/exhibitions/mark-adams-rauru/
フィオナ・パーディントン Fiona Pardington http://fionapardington.blogspot.jp/
「Fiona Pardington Ahua: A beautiful hesitation」(Otago University Press, 2011)
ヨルマ・プラーネン Jorma Puranen http://helsinkischool.fi/artists/jorma-puranen/portfolio/imaginary-homecoming
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by curatory | 2015-05-12 16:55 | 海外作家賞
2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真1  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

 今年の海外作家賞の対象国はニュージーランドだ。夏真っ盛りという去る1月にオークランドと首都ウェリントンを訪れた。真夏だから日差しがきつくて暑い、という話を聞いていたものの、空港に降り立ってみると、日本の9月下旬の秋のさわやかな気候というくらいの印象だ。ニュージーランドは南半球の高緯度地域にあり、緯度としては北半球での北海道に近いため、北海道の気候とも似ているのだろう。大陸オーストラリアの隣にあって小さい島という印象もあるが、南北ふたつの島をあわせると日本の面積よりも広い。けれども、人口は450万人ほどとかなり少なく、そのうちマオリ系は15パーセントほどを占め、ポリネシア地域におけるマオリの一大拠点となっている。
 滞在中に、折しもオークランド市175周年の記念祭典が行われた。ニュージーランドは1642年にオランダ人エイベル・タスマンによって「発見」され、1769年にはジェイムス・クックがはじめて上陸。オークランドに西欧人が最初に足を踏み入れたのは1820年のこととされている。175周年記念というのは、イギリス海軍で後にニュージーランド初の総督となるウィリアム・ホブソン(1792-1842)が、ニュージーランド北島北部海岸にあるベイ・オブ・アイランズに上陸した1840年1月29日から数えて175年目ということだそうだ。

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        オークランド市175周年の記念祭典特別会場での展示 (1842年のオークランド市の人口は2895人とある。)

この1月29日よりもオークランド、そしてニュージーランドにとって重要な意味をもつのは、同年2月6日に締結されたワイタンギ条約だろう。最終的には総数500名以上のマオリの代表者とイギリス王権の間で締結され、ニュージーランドが実質上イギリスの植民地となったこの条約は、マオリ側とイギリス側との解釈の相違から、近年に至るまで大きな禍根を残すことになる。マオリ側はこの条約が、彼らの土地や慣習に対する権利を保持したままイギリスとのパートナーシップを結ぶものとして解釈したが、イギリス側はこれをもとにマオリの土地を奪っていった。
 マオリは何度か戦争を起こすが鎮圧され、土地の権利も失い、教育の機会も妨げられ、マイノリティとしての地位に甘んじることとなる。しかし、アメリカにおける公民権法成立後の1960年代後半からのブラックパワーなどマイノリティ復権運動に影響を受け、ニュージーランドにおいてもマオリ文化復興運動(マオリ・ルネッサンス)がおこったようだ。1975年にはワイタンギ審判所が創立され、ワイタンギ条約で認められた権利を135年目にしてようやく見直し、強奪された土地の返還を求める動きが出る。1987年にはマオリ語法が施行され、公用語にマオリ語が加わることになった。ニュージーランドに行ってみると、公共施設はどこでも英語とマオリ語が両方記載され、テレビでもマオリの番組を放映する放送局マオリ・テレビジョンがあった。
 ニュージーランドと東川町の歴史には似たところがある。東川町に開墾の鍬がおろされたのは1894年とされ、昨年の2014年に開墾120周年を迎えたばかりだ。北海道に開拓使が置かれたのも1869年だから、ニュージーランドも北海道も共に歴史の浅い場所となる。しかし、それは当然開拓者の側から見た歴史であって、ニュージーランドのマオリと同じように、北海道にはアイヌが以前から住んでいた。アメリカにおける1950年代からの先住民族の主権回復運動を受け、日本でもアイヌの権利回復運動が高まりをみせる。だが、アイヌの権利回復が進むのは、ニュージーランドよりもかなり遅い。1997年にようやく北海道旧土人保護法が廃止され、アイヌ文化振興法にとってかわるものの、アイヌは依然、先住民族としては認定されなかったし、アイヌ民族共有財産の返還裁判にも敗訴した。この差は、ニュージーランドにおけるマオリの占める人口が15パーセントというのに比べ、アイヌは圧倒的少数者にすぎず、日本における一地方の問題としてしか捉えられていないということが大きく関係しているだろう。
 ニュージーランドに行ってまずもって驚かされたのが、マオリ文化の顕在性であり、出会ったアーティストたちのほぼすべてが、自国の歴史や風景、文化の在り方について、ポスト・コロニアル的な視点を確実に意識しながら作品を作っていることだった。ウェリントンにあるニュージーランド国立博物館(テ・パパ・トンガレワ)の写真専門キュレーターであるアソル・マッククレディ氏と話した際に、こうした印象を伝えたところ、彼にとってそれは当たり前すぎる前程で、あえて意識して考えたこともなかったというようなことを言われて、さらに驚きを覚えた。
 彼の説明によると、第二次大戦後、イギリスとの関係が次第にゆるやかになってきた1950年代後半から、ニュージーランドの歴史に対する新たな関心が向けられてきた。現代写真の文脈では、1970年代からはじまったマオリ文化ルネサンスの影響が大きい。マオリが自分たちの歴史を認識し、コロニアリズムの不平等な歴史が修正されるよう働きかけ、マオリ以外の人たちにも問題含み歴史について考えさせるように促したことが、アーティストたちにも大きな影響を及ぼした。以来、こうしたポスト・コロニアル的な視点はアーティストにとって欠かせないものとなっているようだ。

 
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by curatory | 2015-05-12 16:54 | 海外作家賞