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2016年 06月 03日

コロンビアの写真6 Contemporary Photography in Colombia       参考リンク

ブログで取り上げた写真家:

Erika Diettes
Jorge Panchoaga
Karen Paulina Biswell
Guadalupe Ruíz
Mateo Garcia Gomez
Juan Orrantia 
Camilo Echavarría
Mateo Pérez
Oscar Muñoz
Miguel Ángel Rojas
Victor Robledo 
Santiago Harker 

その他の写真家/アーティスト:

Juan Manuel Echavarría
Adriana Duque
Jesús Abad Colorado
Ivan Herrera
Juan Fernando Herrán
Ana Adarve
Fernando Cano
Andres Sierra
Libia Posada ”Signos Cardinales"
Clemencia Echeverri


ウエブサイト:

Fototazo 
コロンビア、メデジン在住のアメリカ人写真家、エデュケーターのトム・グリッグスが立ち上げたノンプロフィット団体。HPの運営だけでなく、コロンビアの若手写真家たちに世界に開かれた機会を提供すべく、機材購入のための奨学金を提供したり、アメリカでの個展開催などのプログラムを組んでいる。ラテンアメリカの写真家の紹介やインタビュー、批評などを英語にて発信している。

Little Brown Mushroom(LBM) - What is happening in contempory Colombian photography?
アメリカ人写真家のアレック・ソスがミネソタで運営しているアート・インスティテューションのHP。トム・グリッグスと協力して、コロンビアの現代写真に何が起こっているかについての情報を共有しようとしたサイト。
ソスはコロンビアのボゴタ出身の養女を迎えた縁から、娘が生まれた町を記録に残しておこうと、2003年に、ボゴタの町や風景、人々を集中的に撮影している。

BIENAL INTERNACIONAL
FOTOGRÁFICA BOGOTÁ - FOTOMUSEO
 
コロンビアの首都ボゴタで隔年に開催される写真フェスティバル。

Fotomeraki
コロンビアの若手写真家による写真プロジェクトを紹介するウエブサイト。

La Media Vida
どちらかといえばドキュメンタリー系のコロンビアの写真家の作品を紹介するウエブサイト。

Fotología
2002年にボゴタで始まった写真祭。確か2005年に日本の写真特集をするというので、ディレクターの方が日本にリサーチに訪れていたときに、偶然ツァイトフォトで出会った覚えがあるが、現在は休止している模様。


展覧会:

Fourth World: Contemporary Photography in Colombia
2015年にSan Francisco Cameraworkで開催されたコロンビアの現代写真を紹介する展覧会。Jaime Ávila、Zoraida Díaz、Luz Elena Castro、Andres Felipe Orjuelaらが紹介されている。


書籍:

La Silueta
アーティストブックなどをたくさん出しているボゴタの出版社

『AMERICA LATINA, 1960–2013』2013年
2013年から14年にかけて、メキシコのMuseo Amparoと、パリのカルティエ現代美術館で開催された、1960年代から今日にいたるまでのラテンアメリカの70人の写真家を紹介した展覧会カタログ。写真とテクストの関係に焦点を当てている。

『Mapas Abiertos Fotografia Latinoamericana 1991-2002』2003年
スペインのキュレーターAlejandro Castelloteによって企画された展覧会のカタログ。展覧会はヨーロッパとラテンアメリカで同時に開催された。アイデンティティ、ランドスケープ、歴史に対する批判的視点などがテーマとなった。

『Image and Memory: Photography from Latin America, 1865-1992』
ヒューストンで毎年開催されるているFotofest で、1992年にラテンアメリカの写真がフォーカスされたときに出版された写真集。1000点以上の写真が紹介されている。

『Romper los Márgenes: Encuentro de Fotografia Latino Americano』
1993年にヴェネズエラで開催された展覧会(curated by José Antonio Navarrete)のカタログ。


論文:

Mediating Suffering: Photography and the Colombian War written by Ruben Yepes
内戦とそれによるトラウマのなか、コロンビアの写真家、アーティストがどんな作品を創り上げているかを分析した論文。Jesús Abad Colorado、Libia Posada、Miguel Ángel Rojas、Oscar Muñozなどが取り上げられている。















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by curatory | 2016-06-03 23:05 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真5 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 Oscar Muñoz 「Narcisos」シリーズより

Oscar Muñoz (1951-)
 ここまでコロンビアの若手から中堅のアーティストを取り上げてきたが、次に1950年代前後に生まれたベテランの世代を紹介したい。この世代は「写真家」といえばジャーナリズムで発表するような写真家が主だったため、それ以外は写真も用いるアーティストというような位置づけが多いようだ。そのなかでも、写真に大きな比重を置いているのが、今回の海外作家賞を受賞したオスカー・ムニョスだ。ムニョスは1970年代より、写真を用いたハイパーリアルなドローイング作品の制作をはじめている。写真のみならず、フィルム、彫刻、インスタレーションなどによる制作を行っているが、現実との関係性や意味生成のあり方から、ムニョスにとって写真は中心的な位置を占めているという。世界各地を巡回した「Protographs」展も、「原-写真」という観点からこれまでの作品をまとめている。水のなかに消えていく顔、息をふきかけた間だけ像が浮かび上がる写真、描けども描けども消えていく水で描いたデッサンなど。生のはかなさや、記憶と忘却についてを想起させる作品だ。詳しくは東川賞受賞作家紹介のページを参照のこと。

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 展覧会「Protographies」(Jeu de paume、パリ、2014年)のカタログ表紙


Miguel Ángel Rojas (1946-)
 ミゲル・アンゲル・ロハスは自らのゲイとしてのマージナルで主観的な経験や、アイデンティティ、政治といった事柄を、コンセプチュアル、マルチメディアの手法によって作品化している。1973年に制作された 「Fraenza」シリーズは、ボゴタにあるB級映画館でのゲイ達のあいびきの様子を隠し撮りした作品。暴力に満ちたマッチョな社会において、ゲイであるということは時にはむごたらしい死をもたらすことでもあった。ロハスはそうした影の存在に光を当てるとともに、恐怖と欲望が裏表の関係にある人間の性のようなものを、アメリカンポップやコミックの手法を引用することによって、隠喩的ともいえる形で提示する。内戦で片足を失った元兵士を、ミケランジェロのダビデ像のような形で撮影した「David」(2005年)も、美と醜、恐怖についてや、それを美術作品として購入したいと思わせる欲望についてなど、様々なことに思いを馳せさせる作品だ。

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 Miguel Ángel Rojas 「Fraenza」シリーズより
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 Miguel Ángel Rojas 「David」展示風景
 上下とも『Miguel Ángel Rojas : essential, conversations with Miguel Ángel Rojas』より転載


Victor Robledo (1949-)
 グアダルーペ・ルイスが展示を行っていたギャラリーのオーナーから、写真を用いたアーティストといえばこの人と推薦されたのがヴィクター・ロブレドだ。ボゴタのロス・アンデス大学にて建築を学んだロブレドは、1970年代から光、空気、水といったものをテーマに、抽象性の高い独自の作品を発表し続けてきた。ムニョスやロハスが写真を用いながらも、他の手法も取り入れるなどマルチメディアによる制作をしているのに対し、ロブレドは写真だけを用いている点において、(ドキュメンタリー写真家をのぞいて)コロンビアではあまり類をみない存在だと本人も語っていた。光と影が空間のなかに織りなす陰影をとらえながら、現実の表象というよりは、光がいかに時間の感覚や感情に影響を及ぼすかという、観者が光を観察する内的なプロセスを重要視した繊細な作品を制作している。ガラスを用いた非常に繊細で構築的な作品を前に、高松次郎の作品を思い起こさせもした。主に室内における実験的な写真の数々を前に、戸外での撮影は行わないのかと尋ねたところ、少し前までのボゴタにおいて、大型カメラをかついで戸外で撮影をすることなど危険すぎたという答えが返ってきたことが虚を突かれる思いだった。

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 Victor Robledo 「Constructions」シリーズより
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 Victor Robledo 「Mirages」シリーズより


Santiago Harker (1951-)
 サンティアゴ・ハーカーは、ドキュメンタリー写真を代表するとされる写真家だ。ゲリラやパラミリタリーの支配によって、普通ではなかなか行くことの難しいようなコロンビアの各地を実際に自分の足でまわって風景や人々の撮影を続けている。ニュース的な状況ではなく、光と影や、色彩による独自の美学で切り取られた写真はオーソドックスともいえるが、手堅さがうかがえる。「Colombia Sideways」シリーズでは、それまでに撮影してきた場所の多くが、1850年代にイタリア人傭兵のアグスティン・コダッツィ(Agustin Codazzi)が、地学者、自然科学者、文筆家、画家たちを引き連れて、コロンビアの地誌作成のために行ったコミッションでたどった場所と共通するところが多いことに気がつき、当時作成された絵画と対比的に写真を見せる試みを行っている。同じような服装や、状況など、主に類似の妙を示すにとどまっている写真も多いが、おそらく時間を経てみてみると、あまり写真に撮られることもなかった地域の貴重な記録になっているのではないかと思われる。近年ではコロンビア政府と南米最大の反政府ゲリラ組織FARC(コロンビア革命軍)の和平交渉のドキュメントを撮影するプロジェクトに参加するなど、精力的に活動を続けている。

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Santiago Harker  「Colombia Sideways」シリーズより



 今回は特に手探りのような状態からコロンビアの写真家を探すなか、写真家を含め、たくさんの方々に協力してもらった。東川フェスでは受賞作家一名を紹介することしか叶わないことがもどかしい。資料を準備し、貴重な時間を割いて作品について話していただいた写真家の面々に対するこちらからのフィードバックの意味もこめて、日本ではほとんど紹介される機会もなく、情報を得ることも難しい写真家を紹介させてもらった。いただいた貴重な資料も、もっと多くの人の目に触れるような機会を積極的に設けていかねば。
 東川に常設写真ライブラリーができて、フェスティバルに際して写真の町通信だけでなく、もう少しカタログ的な要素もある冊子ができればと、切に思う。























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by curatory | 2016-06-03 23:04 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真4 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 Juan Orrantia 「Sugarcoated Blues」シリーズより

Juan Orrantia (1975-)
 ボゴタに育ち、現在はヨハネスブルク在住のフアン・オランティアも、ミドルクラス出身の自分の体験に根差したコロンビアでの日常を写真を通して作品化した「Sugarcoated Blues」(2013-)を制作している。イエール大学でビジュアル文化人類学、ICPで写真を学んだフアンは、記憶、歴史、暴力の余波、ポストコロニアルな都市と生活における影響などをテーマにプロジェクトを続けている。コロンビアは1970年代からの三十余年にわたる麻薬カルテルを中心とした大規模な麻薬取引のなかで、麻薬にまつわる事象が社会的、文化的、経済的、政治的な身の回りの様々な出来事を支配してきたといえる。街角でふいに起こるテロ、誘拐、性的暴力など、そうしたものが平準化し、身体化するなかで青春時代を過ごしたフアンは、それらが文化や社会に及ぼした影響がどういうものだったかを、写真のもつあいまいさや親密さ、多義性を用いながら、詩的ともいえる手法で物語ろうとする。コカの一大産地であり、有名なパラミリタリーのリーダーの縄張りであった、コロンビア北部シエラ山地の小さな農村を訪れたときの写真や、たくさんの死者を出したテロを報じる新聞の切り抜き、セクシーな女性のピンナップや、日記風のものなど、単一の因果では語ることのない縒り合さった状況を、複数の章立てと手法とで提示している。イブニングニュースを飾るようなテロや、世界中でも注目される麻薬王エスコバールの存在などが、若者が映画館に行き、車に興味をもつのと同じような次元の身近なものとして日常にある―そうした状況をあらわすのに、物事を並列的に掲示することのできる写真は格好のメディアだったのだろう。個人的な経験にこだわりながらも、それをより大きな枠組みからとらえ直そうとする彼の視線はしなやかだ。

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 Juan Orrantia 「Sugarcoated Blues」シリーズより


Camilo Echavarría(1970-)
 カミーロ・エチャバリアは、「風景」にとって、それを観察する「人」はなくてはならない存在であるということから、風景における主観性や理想主義の問題を意識した作品を制作している。コロンビア的なるものというものとは少し距離を置いたところで、コロンビアの「風景」をとらえようとしている作家だ。現在進行中のプロジェクトである「Illustrated Landscapes」は、幼少期に両親に連れられてコロンビアの様々な地方を旅したときに受けた強い印象や記憶を出発点に、自身の記憶の問題だけにとどまらず、風景を前にして受け取った身体的な感覚や記憶を、写真のなかにいかに取り込めるかということをテーマとしたものだ。そのため、写真が撮影された一瞬だけに特権を与えるのではなく、事後的に人物や人為を感じるものを風景のなかに加えることによって、現実には存在しないが、その場所での経験を通じて感じられた、「理想」の風景を構築しようとする。それはカミーロにとっての理想ということだけでなく、「風景」をめぐっての崇高や美学的な理想の概念についての歴史もふまえた上でのことだろう。そして、人に観察されることによってはじめて「風景」というものが存在するようになることから、観察する「時間」性もそこには必要とされる。カミーロはあらゆる細部に目を凝らすことができるようにとプリントのクオリティに細心の注意を払うほか、写真をつなぎ合わせることによって時間を組み込んだビデオ作品を制作するなど、観察にかけられる時間のなかで深まる経験のあり方を作品においても重視している。

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Camilo Echavarría 「Illustrated Landscapes」シリーズより


Mateo Pérez (1973-)
 マテオ・ぺレスは広告や建築写真も手掛ける写真家だが、自身の作品として、コロンビアにおける社会的風景とでもいえるようなものをテーマとした作品を制作している。「Tequendama Falls」は、ボゴタ郊外にあるコロンビアで最初の入植地でもあり、観光地としても有名でありつつも、ボゴタからの排水の溜め桶として汚染された場所になり果て、自殺の名所としても有名になったテケンダマ滝に関するプロジェクトだ。「Terrarium」シリーズは、カリブ海のけがれなき楽園としてリゾート地としても注目を浴び始めたコロンビア領プロヴィデンシア島に打ち捨てられた車の残骸をとらえたもので、イメージと現実のギャップを提示するとともに、廃棄する施設も存在しない島の暮らしの一端をうかがわせるものである。
 カミーロもそうだが、マテオもアメリカで写真を学んでおり、アカデミックともいえる写真の手法を介してコロンビアにおける「風景」の問題に取り組んでいる写真家といえるだろう。

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 Mateo Pérez 「Tequendama Falls」より
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 Mateo Pérez 「Terrarium」シリーズより


























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by curatory | 2016-06-03 23:03 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真3 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 Karen Paulina Biswell 「nama bu」シリーズより

Karen Paulina Biswell (1983-)
 カレン・ポリーナ・ビズウェルの「nama bu」(we exist)シリーズも、コロンビアの原住民に焦点を当てたシリーズだ。カレン自身は原住民の出自ではないが、カリブ海の小さな島に生まれ、90年代初頭のコロンビアの混乱を逃れ、7歳から15歳までフランスで政治難民として生活し、その後ソルボンヌ大学で美術史を学んでいる。カレンはギリシア神話のレダに題をとったシリーズや、女性のポートレイトなど、フェミニニティを巡っての作品を作っている。
 「nama bu」は、カレンが2012年にボゴタの路上で出会った、先住民族Embera Chamisの家族を撮影したシリーズで、私のボゴタ滞在中にちょうどギャラリー(Valenzuela Klenner Galería)で展覧会を開催していた。トムによると、ボゴタの繁華街の路上で民芸品などを売っている人たちにこの部族出身者がよくいるとのことだった。展示は、コロンビア共和国の黄金時代に建てられたというドランテス・ホテルで民族衣装や独自の化粧を施した家族を撮影したポートレイトや、彼等の祖先がかつては住んでいたような深い森を写した写真、葉っぱや果物などを小道具に、被写体と一緒になって作りあげた写真などからなる三部構成になっていた。カラフルで遊び心のあるようなセッティングにも関わらず、写されている人物の表情は固いとも、無表情ともいえるもので、口に草を詰め込んで何もしゃべれない状況になったものもある。ホルヘの写真にもあったような、森のなかの棲んでいた家を追い出され、ボゴタのような都会で、根なし草のように、蔑まれながら生きていかざるをえない家族たちの哀しみと、本来あったはずの生活とのギャップとがそこに表れているように思われた。

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 Karen Paulina Biswell 「nama bu」、「Embera-Chamis」シリーズより


Guadalupe Ruíz (1978-)
 グアダルーペ・ルイスの「BOGOTA D.C.」(2011)シリーズも、住まう場所、家をテーマとした作品だ。ボゴタ市では税金の納付率によって6つの地区に分けられるのだという。グアダルーペはそれぞれの地区から一つずつ家を選び、部屋の内装、家具、家から見た外の様子、外観などを撮影した。壁に飾られた写真や絵画、ベッドルーム、インテリアなど、それぞれの家族の生活を垣間見せるとともに、スラムから高級住宅まで、ボゴタの6つの階層の家が展観されることで、ボゴタという都市のポートレイトにもなっている。面白いのは、社会的な階層による相違点が浮かび上がるだけでなく、どの家にも祭壇のスペースが設けられていたり、カラフルな壁面など、共通点も見えてくることだ。
 彼女には他にもボゴタに住む自身の家族を撮影したシリーズ「NADA ES ETERNO」がある。ラテンアメリカの風土では、家族の絆がとても大事にされている。ドラッグや危険な国というステレオタイプでは語り切れないボゴタの町を「BOGOTA D.C.」でとらえようとしたのと同じように、このシリーズでも幸せ、陽気さといったイメージではとらえきれない、自分にとっての家族のあり方を、女性と男性のギャップを引き立てたユーモラスともいえる形で浮き上がらせている。グアダルーペはボゴタ出身だが、現在はスイスで活躍している。そうした外からの視線の産物ともいえそうなのが、ニューヨークのビル、ボゴタのアパート、マヤのピラミッドなどを百科事典的に並列した近作の「KLEINE FOTOENZYCLOPEDIE」シリーズだ。ビルの写真なかに、カラフルなスナック菓子の写真なども入っていたりと、雑多な印象もするなかに、ユーモアと批評性がうかがえる。

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 Guadalupe Ruíz 「BOGOTA D.C.」より
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 Guadalupe Ruíz 「NADA ES ETERNO」より
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 Guadalupe Ruíz 「KLEINE FOTOENZYCLOPEDIE」より


Mateo Garcia Gomez(1988-)
 同じく、コロンビアにまつわる暴力とドラッグといったステレオタイプとは距離をとった視点から、コロンビアの文化や社会をとらえようとするのがマテオ・ガルシア・ゴメスだ。ボゴタはラテンアメリカでも6番目に物価の高い都市だといわれ、大半はその郊外に暮らしている。「A Place to Live」シリーズは、マテオも10数年住んでいる静かでのんびりとした郊外の町La Caleraが、都市の拡張による人口増加によって、ショッピングモールの建設計画が進むなど、大きく変貌しようとする様をアイロニカルな視点から記録したもの。現在では、どこかコミカルな日常のストリートスナップを撮った「In Colombia」(2014-)や、室内の監視カメラやアメリカ軍といったセキュリティにまつわる風景を、1920年代に撮られた祖母の写真とともに紡いだ「Security Icons」(2013-)に取り組んでいる。あくまでも日常の風景のなかに、コロンビア的なるものや、アイデンティティの問題がどう表れているかを探ろうとするマテオのプロジェクトは意欲的なものだ。

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Mateo Garcia Gomez 「A Place to Live」シリーズより






























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by curatory | 2016-06-03 23:02 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真2 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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Erika Diettes 『Sudarios』の展示風景

 ここ数年、海外作家賞の対象国がフィンランド、ニュージーランドと続くなかで、ポスト・コロニアリズムを意識したアーティストの作品にたくさん触れてきた。コロンブスに由来する国名をもち、スペインの植民地としての時代を経てきたコロンビアでも、そうしたポスト・コロニアリズムやクレオール性をテーマとしたアーティストが多いかと思っていたが、そうした作家もいるものの、事情はかなり違っているように思われた。1980年代、90年代をピークとするコロンビアの内戦が引き起こした様々な出来事が及ぼした影響は多大だ。テロや暴力による生命の危険や死が非常に身近なものとして常に感じられていたこと、また、外からの人が危険を恐れてコロンビアにやってこないため、コロンビア内での閉鎖的なコミュニティが形成されていったこと(海外へ出ていかざるを得なかった人たちも多い)などがまずは挙げられるだろう。
 コロンビアでは近年ようやく和平合意に至りつつある政府とゲリラ軍との半世紀以上にわたる抗争と、それによって引き起こされた様々な困難が、アーティストを含め、そこに暮らすすべての人々の日常生活を幅広く支配してきた。1946年、保守党政権が誕生すると、政権による自由党に対するテロが繰り広げられ、1948年、自由党派の市民と保守党派の市民が衝突する「ボゴタ暴動」が発生。以降、1950年代末までの10数年は「ラ・ビオレンシア」(暴力)と呼ばれる暴力が蔓延する時代となり、死者は20万人にも及ぶという。その後もキューバ革命(1959年)の影響によるコロンビア革命軍(FARC)や、左翼ゲリラが地方を拠点に勢力を築き、麻薬王パブロ・エスコバルに代表されるような麻薬カルテルや、そこから資金援助を受けたゲリラ抗争も加わって、1980年代、90年代をピークに、内戦、誘拐、殺戮、爆破、地雷などがコロンビアに住む人々の日常を支配するようになった。
 こうした身近に蔓延する死や喪失について、直接的あるいは間接的にテーマにした作品を制作しているアーティストが多いのが印象的だ。2014年に第9回ヒロシマ賞を受賞したドリス・サルセドも、ボゴタ在住の現代美術家で、日常的に使われる家具などを用いて、暴力により姿を消していった犠牲者を悼む作品を制作している。
 以下、東川賞海外作家賞2016へのノミネート作家を中心に、コロンビアの写真家/アーティストを紹介していきたい。まずは若手、中堅作家から。

Erika Diettes(1978‐)
 国際的な発表の機会も多いエリカ・ディーテスは、内戦で犠牲になった被害者やその家族に焦点をあてた作品を作っている。大学で文化人類学を学んだエリカは、ホロコーストを逃れてコロンビアにやってきたユダヤ系の出自をもつパートナーの縁から、コロンビアにおけるユダヤ人コミュニティを取材し、ホロコーストの犠牲者が記したノート、ポートレイト、過去の写真などをディプティック形式で提示した作品「Silencios」(2005)を修士課程の卒作として制作した。ホロコーストについて考えるなか、コロンビアにおけるビオレンシアの歴史に向き合わざるを得なくなり、消息を絶った犠牲者の遺族とコンタクトをとり、生み出したのが「Rio Abajo / Drifting Away」(2008)シリーズだ。このシリーズでは、政治抗争によって命を奪われた人々の遺品を遺族から預かり、水のなかに浮かべて撮影している。ゲリラやパラミリタリー(準軍事組織)によって殺害された被害者は、川に流され、遺体も発見されることなく葬りさられることが多いという。透明な水のなかで、明るくゆらめく光を受けてたゆたう服は、透明性が際立つガラスを支持体に、実物よりも大きいサイズの写真に引き伸ばされている。恐怖に満ち凄惨であったに違いない末期を、清らかで安らかなものへと変転させ、死を弔おうとする意図がそこにはある。最初の展示は、遺品を提供してもらった遺族に見てもらおうと、手に取れる大きさのプリントを現地に持っていき、ろうそくの光で捧げみるような形になったようだ。次のシリーズ「Sudarios / shrouds」(2011)では、「Rio Abajo」を制作する過程で知り合った、目の前で家族が殺害され、その恐怖を人々に語るための生き証人として生かされた被害者家族を撮影している。心理カウンセラーとともに、撮影用に設えたスタジオで、生かされた家族からそのときの話を聞き、記憶のなかで出来事が再演され、過去の記憶に没入したような瞬間をとらえた写真には、目が閉じられたポートレイトが多い。「Sudarios」は死者を包む白布を意味するが、作品も薄いシルクにプリントされ、展示場所は主に教会などの場所が選ばれる。非常にコロンビア的といえる主題だが、エリカはそれをコロンビアの文脈だけで理解されるものとしてではなく、「喪失の痛み/悼み」という誰もが当事者として受け取り得るものとして、抽象性を高めることによって提示しようとしている。

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Erika Diettes 『Sudarios』 アーティストブック  薄い絹に印刷された写真が表紙になっている。
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Erika Diettes 「Rio Abajo / Drifting Away」より
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「Rio Abajo / Drifting Away」の写真を手に、ろうそくの光で見入る被害者の親族を含めた観者


Jorge Panchoaga (1984-)
ホルヘ・パンチョアガの「La Casa Grande (The Big House)」シリーズは、自身もオリジンを同じくするカウカ州の山岳地帯に住む先住民の人々の日常生活や、そのアイデンティティを形作るコミュニティ、家、家族、文化遺産に焦点を当てたものだ。カウカ州は先住民族が多く住み、植民地時代も安価な労働力として支配されていたが、その後の内戦の時代もコロンビアのなかでももっとも武力抗争が激しかった土地で、居住者の多くは強制移住を強いられてきた。この地方でもこれまでに70万人ほどが居住地を離れざるをえなかったというが、コロンビアの国内難民はシリアについで世界第二位の約604万人(2014年)で、その多くがコロンビア革命軍(FARC)と政府軍が繰り広げる内戦から逃れた住民たちなのだという。
 だが、ホルヘはそうした事情を直接的にとりあげることはしない。深い森のなかで、満天の星に見守られるなか、柔らかな光を内側から漏れ出させながらひっそりとたたずむ家。原住民たちは内戦がおこる以前から契約書にだまされてサインをし、強制的に家を追い出されるという状況に頻繁に直面してきた。自分たちの家に住み続けるということ自体が、抵抗の証でもある。カメラオブスキュラの原理を用いて撮影された部屋の内部には、内と外が分かちがたく融合した穏やかで新たな世界が再構築されている。社会の最小単位であり、安楽の場、知識や記憶が受け継がれる場、そしてサバイバルの基本としてある家は、それだけで独立しているものではなく、それを取り囲む自然、コミュニティ、宇宙の一部として存在している。ホルヘは家系図や、アイデンティティ、テリトリーについてのスケッチを作り、写真だけでなく動画や音声を用いた様々なシリーズをそこから分岐させることで、壮大な抒情詩のようなものをそこに作りあげようとしている。

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Jorge Panchoaga 『La Casa Grande』シリーズより

















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by curatory | 2016-06-03 23:01 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真1 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 ボゴタ市内

 コロンビアと聞いてもコロンビア・コーヒーが頭に浮かぶぐらいで、ほとんど何のイメージも結ぶことのできないような馴染みのない国だった。小説家ガルシア・マルケスの国だと知って思い浮かべるのは、マルケスの短編小説「エレンディラ」に出てくる舞う蝶、バラの芳香が漂う海。幻想的でエキゾチックな風景だ。
 コロンビアの首都ボゴタ。訪れた11月末は、暑くもなく寒くもなく、昼には少し汗ばみ、夜には少し冷え込むような、そんな内陸性の春の気候だった。南米大陸を南北に縦断する全長8000kmほどもあるアンデス山脈が国を貫いているため、コロンビアの地理、気候は変化に富んだものになっている。そのなかでもボゴタは、標高2600mほどの盆地にある高山都市。コロンビアでも快適に過ごせる町で、常春の都市と言われている。ボゴタをさらに東に行くとブラジルとペルーにつながるアマゾン川支流のジャングル地帯、西に進んで山を越え、太平洋とカリブ海の方に下って行くと、赤道が貫く灼熱の土地が広がっている。同じコロンビアといっても、急峻な山々やジャングル地帯に阻まれて、都市間の交通は飛行機がなくては困難を極める。マルケスの小説「百年の孤独」のなかで、小説の舞台となるマコンドの住人が、村ができた当初は外部からの来訪者も年に数えるほどしかなく、閉鎖的な社会を築いていたのもうなずける。
 今回、コロンビアにはロサンゼルス経由で入った。乗り継ぎのための宿泊も入れて、日本から丸二日がかりの旅。黄金郷を意味するボゴタのエルドラド空港で、アメリカ出身の写真家で、数年前からコロンビア第二の都市メデジンに暮らし、コロンビアの写真家を紹介するウェブサイトfototazoを運営しているトム・グリッグスさんと落ち合う。このウェブサイトは、コロンビアの写真家について英語で参照できる希少、かつ信頼のおけるもので、今回の調査ではかなり役にたった。コロンビアの写真家の情報はスペイン語がほとんどで、英語で探そうとしても本当にヒットするものが少ない。コロンビアが観光やビジネスの場として注目されはじめたのもここ最近のことで、日本との関係も、2001年にボゴタで矢崎総業の現地法人副社長が誘拐され、2年後に射殺体で発見されてからはら撤退する企業も多く、日本では危険な国といった情報ばかりが目立つ。数年前にボゴタで隔年に開催されている写真フェスティバル「フォトグラフィカ・ボゴタ FOTOGRÁFICA BOGOTÁ」に招待された縁から今回のコロンビア調査を勧めてくれた笠原美智子さんの、ボゴタでほとんど危険は感じなかったというお墨付きがなければ、行ってみようという気持ちにはなれなかっただろう。
 コロンビアの写真家については、トムのほか、フォトグラフィカ・ボゴタのディレクターであるヒルマ・スアレスさん、以前中国の平遥写真フェスティバルでラテンアメリカの写真家の展覧会を開催したことのあるオーストラリアのキュレーター、アレスデール・フォスターさん、アルゼンチンのフォトフェスティバル「Encuentros Abiertos-Festival de la Luz」ディレクターのエルダ・ハリントンさんらから推薦をもらい、ボゴタでの滞在中に数名の作家と会って作品を見せてもらった。

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by curatory | 2016-06-03 23:00 | 海外作家賞