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2015年 05月 12日

ニュージーランドの写真1  ポスト・コロニアリズムの視点を抱えたゴシックの国

 今年の海外作家賞の対象国はニュージーランドだ。夏真っ盛りという去る1月にオークランドと首都ウェリントンを訪れた。真夏だから日差しがきつくて暑い、という話を聞いていたものの、空港に降り立ってみると、日本の9月下旬の秋のさわやかな気候というくらいの印象だ。ニュージーランドは南半球の高緯度地域にあり、緯度としては北半球での北海道に近いため、北海道の気候とも似ているのだろう。大陸オーストラリアの隣にあって小さい島という印象もあるが、南北ふたつの島をあわせると日本の面積よりも広い。けれども、人口は450万人ほどとかなり少なく、そのうちマオリ系は15パーセントほどを占め、ポリネシア地域におけるマオリの一大拠点となっている。
 滞在中に、折しもオークランド市175周年の記念祭典が行われた。ニュージーランドは1642年にオランダ人エイベル・タスマンによって「発見」され、1769年にはジェイムス・クックがはじめて上陸。オークランドに西欧人が最初に足を踏み入れたのは1820年のこととされている。175周年記念というのは、イギリス海軍で後にニュージーランド初の総督となるウィリアム・ホブソン(1792-1842)が、ニュージーランド北島北部海岸にあるベイ・オブ・アイランズに上陸した1840年1月29日から数えて175年目ということだそうだ。

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        オークランド市175周年の記念祭典特別会場での展示 (1842年のオークランド市の人口は2895人とある。)

この1月29日よりもオークランド、そしてニュージーランドにとって重要な意味をもつのは、同年2月6日に締結されたワイタンギ条約だろう。最終的には総数500名以上のマオリの代表者とイギリス王権の間で締結され、ニュージーランドが実質上イギリスの植民地となったこの条約は、マオリ側とイギリス側との解釈の相違から、近年に至るまで大きな禍根を残すことになる。マオリ側はこの条約が、彼らの土地や慣習に対する権利を保持したままイギリスとのパートナーシップを結ぶものとして解釈したが、イギリス側はこれをもとにマオリの土地を奪っていった。
 マオリは何度か戦争を起こすが鎮圧され、土地の権利も失い、教育の機会も妨げられ、マイノリティとしての地位に甘んじることとなる。しかし、アメリカにおける公民権法成立後の1960年代後半からのブラックパワーなどマイノリティ復権運動に影響を受け、ニュージーランドにおいてもマオリ文化復興運動(マオリ・ルネッサンス)がおこったようだ。1975年にはワイタンギ審判所が創立され、ワイタンギ条約で認められた権利を135年目にしてようやく見直し、強奪された土地の返還を求める動きが出る。1987年にはマオリ語法が施行され、公用語にマオリ語が加わることになった。ニュージーランドに行ってみると、公共施設はどこでも英語とマオリ語が両方記載され、テレビでもマオリの番組を放映する放送局マオリ・テレビジョンがあった。
 ニュージーランドと東川町の歴史には似たところがある。東川町に開墾の鍬がおろされたのは1894年とされ、昨年の2014年に開墾120周年を迎えたばかりだ。北海道に開拓使が置かれたのも1869年だから、ニュージーランドも北海道も共に歴史の浅い場所となる。しかし、それは当然開拓者の側から見た歴史であって、ニュージーランドのマオリと同じように、北海道にはアイヌが以前から住んでいた。アメリカにおける1950年代からの先住民族の主権回復運動を受け、日本でもアイヌの権利回復運動が高まりをみせる。だが、アイヌの権利回復が進むのは、ニュージーランドよりもかなり遅い。1997年にようやく北海道旧土人保護法が廃止され、アイヌ文化振興法にとってかわるものの、アイヌは依然、先住民族としては認定されなかったし、アイヌ民族共有財産の返還裁判にも敗訴した。この差は、ニュージーランドにおけるマオリの占める人口が15パーセントというのに比べ、アイヌは圧倒的少数者にすぎず、日本における一地方の問題としてしか捉えられていないということが大きく関係しているだろう。
 ニュージーランドに行ってまずもって驚かされたのが、マオリ文化の顕在性であり、出会ったアーティストたちのほぼすべてが、自国の歴史や風景、文化の在り方について、ポスト・コロニアル的な視点を確実に意識しながら作品を作っていることだった。ウェリントンにあるニュージーランド国立博物館(テ・パパ・トンガレワ)の写真専門キュレーターであるアソル・マッククレディ氏と話した際に、こうした印象を伝えたところ、彼にとってそれは当たり前すぎる前程で、あえて意識して考えたこともなかったというようなことを言われて、さらに驚きを覚えた。
 彼の説明によると、第二次大戦後、イギリスとの関係が次第にゆるやかになってきた1950年代後半から、ニュージーランドの歴史に対する新たな関心が向けられてきた。現代写真の文脈では、1970年代からはじまったマオリ文化ルネサンスの影響が大きい。マオリが自分たちの歴史を認識し、コロニアリズムの不平等な歴史が修正されるよう働きかけ、マオリ以外の人たちにも問題含み歴史について考えさせるように促したことが、アーティストたちにも大きな影響を及ぼした。以来、こうしたポスト・コロニアル的な視点はアーティストにとって欠かせないものとなっているようだ。

 

by curatory | 2015-05-12 16:54 | 海外作家賞


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