2015年 05月 12日
ニュージーランドにおける現代写真の祖ともいわれるローレンス・アーバハート(Laurence Aberhart b.1949)は、1970年代中ごろから、100年ほど前に作られた8×10の大判カメラを使って、ニュージーランドの小さい町の建物や文化(植民地時代に関係のある場所や建物、ランドスケープ、マオリの集会所、戦争記念碑、博物館など)に、時間や都市化がどういった影響を及ぼしてきたかをドキュメントしたシリーズを制作している。彼の作品はゴシックを想起させるものではないが、ニュージーランドの歴史や風景がはらんだ表裏の意味を考えるうえで、先駆的で重要な仕事をしてきた作家として、1980年代半ばの多文化主義の議論のなかでも高い評価を得ている。 建物を左右対称に正面からとらえ、内部空間にも目を向けた手法は、ウォーカー・エヴァンスを思わせる。(アーバハートには、エヴァンスが数多くの写真を写したアメリカ、ミシシッピー州のヴィックスバーグで撮影した「Vicksburg, Mississippi 1988. (Referential to Walker Evans and a joke in the decorative style)」という作品もある。)タイポロジー的な要素も強い彼の作品だが、1881年に植民地軍隊にとらえられたマオリの囚人が、監獄の窓のスリットから遠望したと思われる風景をとらえた「囚人の夢(The Prisoners’ Dream)」(1999-2000)などは、情感を誘う作品となっており、エヴァンスのいうリリック・ドキュメンタリーをある意味踏襲しているのだろう。 「ANZAK」は1980年から2013年にかけて、オーストラリア、ニュージーランド各地に建てられている第一次世界大戦で戦死した兵士の記念碑を撮影したシリーズ。これらの記念碑は、第一次大戦の記憶として、国民の誇りや悲しみを表す公共スペースとして建造されたが、終戦から100年が経とうする現在、その多くが都市化の過程で忘れられたオブジェと化している。アーバハートは、風景のなかに紛れた歴史的存在に焦点をあてることによって、それらを社会的風景として認識してもらいたいと考える。ストイックな寡黙さを保ちつつ、被写体に語らせようとする彼の写真は、安易な解釈をはねつける強さがある。 ニュージーランドのソーシャル・ランドスケープということを考えたときに、ウェイン・バーラー(Wayne Barrar b.1957)は外せない。19世紀にニュージーランドで撮影された初期写真や、ニュー・トポグラフィックス展(ジョージ・イーストマンハウス、1975年)などへの関心から、1980年代半ばから人間と自然の関係、「土地(Land)」がいかに支配、利用、居住されてきたかということをテーマとしたシリーズを作っている。ニュージーランド南島にある有名な塩田で、もっとも人工的に工業的な手が加えられた場所ともいえるグラスミア湖を撮影した「Saltworks: The Processed Landscape」(1987-1989)、ニュージーランドだけでなくアメリカ、オーストラリアなど、鉱物などを採掘した後の地下の空間を再利用している建築を撮影した「An Expanding Subterra」(2002-2009)、ニュージーランドに侵入してきた鯉や水藻の一種であるディディーモといった外来生物の爆発的な増殖をテーマとした「Imaging Biosecurity」(2007-2009)シリーズなど、人と自然の共生関係を問いかける、興味深い作品を制作している。 人と自然の共生というテーマからいうと、今年の海外作家賞を受賞したアン・ノーブル(Anne Noble b.1954)の「Antarctica」シリーズ(特に写真集『The Last Road』(2014)としてまとめられたもの)も、人間が南極大陸に与えた影響に目を向けている。崇高で無垢な未開地として人々に想像されてきた南極の土地を、人がいかに開拓し、足跡を残してきたかという赤裸々な現実を、ノーブルはシニカルともいえる形で突きつける。屋外の小便用の目印に立てられた黄色いポールと、その下を黄色に染める小便の滲みをとらえた「Piss Pole」(2008)や、真っ白で無垢なはずの南極の雪上を容赦なく前進する、薄汚れてカラフルなトラクターに書きつけられた、軍隊の名残も感じさせる女性名の愛称にクローズアップした「Bitch in Slippers」(2008)、地面の土が露わになり、様々な建築資材やコンテナ、電線が立ち並ぶ南極半島北東端にあるロス島の殺風景な光景など。 同じく南極をテーマにした写真集『Ice Blink』(2011)では、南極の観光スポットと、世界界各地の南極をテーマにした水族館やディスカバリーセンターで撮影された写真を組み合わせ、南極という言葉で我々が連想する従来の視覚イメージを探究する。見渡す限りの氷の白と青い海、ペンギンやアザラシが群れるユートピア―――南極に対する私たちの想像力はいかに貧困で脆弱なことか。しかし、もう一方では、観光客が群れる現実の南極のスポットも、水族館のジオラマと同じくらい単調な風景として写しだされる。ノーブルの写真は想像と現実のギャップをテーマにするだけではなく、想像と現実がいかに手を携えて人の欲望に応えた風景を創出するか、写真がそうしたイメージ形成にどういう役割を果たしてきたかということを問いかけている。 ニュージーランドと南極は切っても切れない関係にあり、1820年に南極大陸が発見されて以来、南極探検の補給基地として重要な役割を果たしてきた。アートの分野でも、写真家、詩人、作曲家といったアーティストが南極にて作品を制作するのを支援する南極アーツフェローという助成制度があり、ノーブルの他にも、アーバハートや、ミーガン・ジェンキンソン(Megan Jenkinson b.1958)といった数多くの写真家が、南極大陸を訪れ作品を作っている。ジェンキンソンはゲーテの色彩論をもとにした作品や、視点の移動によって図像が変わって見えるレンティキュラーレンズを使った作品など、視覚のあり方を問いかける繊細で美しい作品を発表している。澄み切った南極の風景のなかに、ピンクや紫といった、まばゆい光のスペクトルでできたオーロラを合成で組み込んだ作品は、写真の原理にも通じる、感覚と科学のあり方を問いかけるものだ。 駆け足で今回のノミネートにも挙がったニュージーランドで活躍中の写真家たちを紹介してきたが、他にもアーバハートと並んでNZ現代写真の祖とされるピーター・ペライヤ(Peter Peryer b.1941)や、古典技法を用いながら写真発明初期に数多く生み出された幽霊的存在を再現させるベン・カウチ(Ben Cauchi b.1974)など、たくさんの興味深い写真家の作品を知ることができた。 ニュージーランドは、辺境の島国という点においては、日本とも閉鎖性、凝集性において通じるところが多いだろう。写真においても独自の文化を形成しているように思われた。何よりも開拓地としての北海道と共通する点が非常に多いことが面白く、写真表現の可能性を考える上でも参考になる。 最後に、貴重な時間を割いてお会いいただいた写真家の方々、全面的な協力をいただいたオークランド写真フェスティバルのジュリア・ダ―キン氏ほかスタッフの方々、収蔵庫の作品を惜しげもなく見せてくださったニュージーランド国立博物館写真専門キュレーターのアソル・マッククレディ氏、アーティストの推薦をいただいたヴィクトリア大学のジェフリー・バッチェン氏、McNamara Galleryのポール・マクナマラ氏、Two Rooms Galleryのマリー・ルイズ・ブラウン氏、そのほかご協力いただいた皆さまに心からのお礼を申し上げます。 参照) ローレンス・アーバハート Laurence Aberhart http://laurenceaberhart.com/ ウェイン・バーラー Wayne Barrar http://waynebarrar.com/ アン・ノーブル Anne Noble http://tworooms.co.nz/artists/anne-noble/ ミーガン・ジェンキンソン Megan Jenkinson http://tworooms.co.nz/artists/megan-jenkinson/ ピーター・ペライヤ Peter Peryer http://peryer.blogspot.jp/ ベン・カウチ Ben Cauchi http://www.bencauchi.com/ マクナマラ・ギャラリー McNamara Gallery ワンガヌイにある写真専門ギャラリー http://www.mcnamara.co.nz/ Two Rooms Gallery http://tworooms.co.nz/
by curatory
| 2015-05-12 16:58
| 海外作家賞
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