2016年 06月 03日
ここ数年、海外作家賞の対象国がフィンランド、ニュージーランドと続くなかで、ポスト・コロニアリズムを意識したアーティストの作品にたくさん触れてきた。コロンブスに由来する国名をもち、スペインの植民地としての時代を経てきたコロンビアでも、そうしたポスト・コロニアリズムやクレオール性をテーマとしたアーティストが多いかと思っていたが、そうした作家もいるものの、事情はかなり違っているように思われた。1980年代、90年代をピークとするコロンビアの内戦が引き起こした様々な出来事が及ぼした影響は多大だ。テロや暴力による生命の危険や死が非常に身近なものとして常に感じられていたこと、また、外からの人が危険を恐れてコロンビアにやってこないため、コロンビア内での閉鎖的なコミュニティが形成されていったこと(海外へ出ていかざるを得なかった人たちも多い)などがまずは挙げられるだろう。 コロンビアでは近年ようやく和平合意に至りつつある政府とゲリラ軍との半世紀以上にわたる抗争と、それによって引き起こされた様々な困難が、アーティストを含め、そこに暮らすすべての人々の日常生活を幅広く支配してきた。1946年、保守党政権が誕生すると、政権による自由党に対するテロが繰り広げられ、1948年、自由党派の市民と保守党派の市民が衝突する「ボゴタ暴動」が発生。以降、1950年代末までの10数年は「ラ・ビオレンシア」(暴力)と呼ばれる暴力が蔓延する時代となり、死者は20万人にも及ぶという。その後もキューバ革命(1959年)の影響によるコロンビア革命軍(FARC)や、左翼ゲリラが地方を拠点に勢力を築き、麻薬王パブロ・エスコバルに代表されるような麻薬カルテルや、そこから資金援助を受けたゲリラ抗争も加わって、1980年代、90年代をピークに、内戦、誘拐、殺戮、爆破、地雷などがコロンビアに住む人々の日常を支配するようになった。 こうした身近に蔓延する死や喪失について、直接的あるいは間接的にテーマにした作品を制作しているアーティストが多いのが印象的だ。2014年に第9回ヒロシマ賞を受賞したドリス・サルセドも、ボゴタ在住の現代美術家で、日常的に使われる家具などを用いて、暴力により姿を消していった犠牲者を悼む作品を制作している。 以下、東川賞海外作家賞2016へのノミネート作家を中心に、コロンビアの写真家/アーティストを紹介していきたい。まずは若手、中堅作家から。 Erika Diettes(1978‐) 国際的な発表の機会も多いエリカ・ディーテスは、内戦で犠牲になった被害者やその家族に焦点をあてた作品を作っている。大学で文化人類学を学んだエリカは、ホロコーストを逃れてコロンビアにやってきたユダヤ系の出自をもつパートナーの縁から、コロンビアにおけるユダヤ人コミュニティを取材し、ホロコーストの犠牲者が記したノート、ポートレイト、過去の写真などをディプティック形式で提示した作品「Silencios」(2005)を修士課程の卒作として制作した。ホロコーストについて考えるなか、コロンビアにおけるビオレンシアの歴史に向き合わざるを得なくなり、消息を絶った犠牲者の遺族とコンタクトをとり、生み出したのが「Rio Abajo / Drifting Away」(2008)シリーズだ。このシリーズでは、政治抗争によって命を奪われた人々の遺品を遺族から預かり、水のなかに浮かべて撮影している。ゲリラやパラミリタリー(準軍事組織)によって殺害された被害者は、川に流され、遺体も発見されることなく葬りさられることが多いという。透明な水のなかで、明るくゆらめく光を受けてたゆたう服は、透明性が際立つガラスを支持体に、実物よりも大きいサイズの写真に引き伸ばされている。恐怖に満ち凄惨であったに違いない末期を、清らかで安らかなものへと変転させ、死を弔おうとする意図がそこにはある。最初の展示は、遺品を提供してもらった遺族に見てもらおうと、手に取れる大きさのプリントを現地に持っていき、ろうそくの光で捧げみるような形になったようだ。次のシリーズ「Sudarios / shrouds」(2011)では、「Rio Abajo」を制作する過程で知り合った、目の前で家族が殺害され、その恐怖を人々に語るための生き証人として生かされた被害者家族を撮影している。心理カウンセラーとともに、撮影用に設えたスタジオで、生かされた家族からそのときの話を聞き、記憶のなかで出来事が再演され、過去の記憶に没入したような瞬間をとらえた写真には、目が閉じられたポートレイトが多い。「Sudarios」は死者を包む白布を意味するが、作品も薄いシルクにプリントされ、展示場所は主に教会などの場所が選ばれる。非常にコロンビア的といえる主題だが、エリカはそれをコロンビアの文脈だけで理解されるものとしてではなく、「喪失の痛み/悼み」という誰もが当事者として受け取り得るものとして、抽象性を高めることによって提示しようとしている。 Jorge Panchoaga (1984-) ホルヘ・パンチョアガの「La Casa Grande (The Big House)」シリーズは、自身もオリジンを同じくするカウカ州の山岳地帯に住む先住民の人々の日常生活や、そのアイデンティティを形作るコミュニティ、家、家族、文化遺産に焦点を当てたものだ。カウカ州は先住民族が多く住み、植民地時代も安価な労働力として支配されていたが、その後の内戦の時代もコロンビアのなかでももっとも武力抗争が激しかった土地で、居住者の多くは強制移住を強いられてきた。この地方でもこれまでに70万人ほどが居住地を離れざるをえなかったというが、コロンビアの国内難民はシリアについで世界第二位の約604万人(2014年)で、その多くがコロンビア革命軍(FARC)と政府軍が繰り広げる内戦から逃れた住民たちなのだという。 だが、ホルヘはそうした事情を直接的にとりあげることはしない。深い森のなかで、満天の星に見守られるなか、柔らかな光を内側から漏れ出させながらひっそりとたたずむ家。原住民たちは内戦がおこる以前から契約書にだまされてサインをし、強制的に家を追い出されるという状況に頻繁に直面してきた。自分たちの家に住み続けるということ自体が、抵抗の証でもある。カメラオブスキュラの原理を用いて撮影された部屋の内部には、内と外が分かちがたく融合した穏やかで新たな世界が再構築されている。社会の最小単位であり、安楽の場、知識や記憶が受け継がれる場、そしてサバイバルの基本としてある家は、それだけで独立しているものではなく、それを取り囲む自然、コミュニティ、宇宙の一部として存在している。ホルヘは家系図や、アイデンティティ、テリトリーについてのスケッチを作り、写真だけでなく動画や音声を用いた様々なシリーズをそこから分岐させることで、壮大な抒情詩のようなものをそこに作りあげようとしている。 =
by curatory
| 2016-06-03 23:01
| 海外作家賞
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