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カテゴリ:海外作家賞( 21 )


2018年 07月 11日

バンクーバーの現代写真: フォトコンセプチュアリズム、ポストコンセプチュアルフォトとその後 Contemporary photography in Vancouver



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たくさんのボートが停泊するフォールス・クリークから見たバンクーバー中心街


今年の東川賞海外作家賞対象国はカナダだ。カナダは1994年の第10回目で対象国になっているが、このところ北米が対象となっていなかったこともあり、(といっても、北米の対象となるのはカナダとアメリカ合衆国だけで、アメリカはすでに4回対象国となっている。)再度対象国となった。前回の授賞者はモントリオールで活躍するミッシェル・カンポウ。今年の受賞者であるマリアン・ぺナー・バンクロフトはバンクーバー出身だ。

カナダは多文化社会で、トロント、オタワ、モントリオール、ケベック、ハリファックス、ウィニペグ、バンクーバー等を中心としながら、それぞれの地方で独自の文化圏を作っている。たとえばフランス語圏であるモントリオールでは主観的で抒情的な傾向の写真が強く、バンクーバーでは理知的な傾向があるといわれている。特にバンクーバーはフォトコンセプチュアリズムのメッカとして、国際的にも評価が高く、ジェフ・ウォールらを中心とする、フォトコンセプチュアリズムあるいは、ポストコンセプチュアルフォトの「バンクーバー・スクール」という言葉をいろいろなところで耳にする。

だが、フォトコンセプチュアリズムは1960年代後半から1970年代はじめ頃まで盛んだった、コンセプチュアル・アートの文脈で写真を用いた作品で注目された活動に対する呼称とされているし、バンクーバー・スクールは主に1970年代後半か80年代以降にバンクーバーで活躍した、ジェフ・ウォールやイアン・ウォレスとその流れをくむ写真家たちを指すものとされている。

どうして時期がずれる内容の二つがバンクーバー・スクールを形容するものとして使われるのか? バンクーバー・スクールはどういったグループなのか? 昨年11月にバンクーバーにリサーチに訪れた際には、こうした問いがずっと頭を巡っていた。短期間のリサーチで確たることは言える立場にはないのだが、そこで得た知見や資料にあたりながら、フォトコンセプチュアリズム、ポストコンセプチュアルフォト、バンクーバー・スクールはどのように重なりあい、現代のバンクーバーのアート写真の現場はどのような状況にあるかについてのイントロダクションを試みる。

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UBC人類博物館
先住民から簒奪したと思われる由来も定かでない収蔵品について、ポストコロニアリズムの視点から、
近代が生み出した博物館システムについて自己批判するキャプションがつけられていたのが印象的だった。



写真を用いたコンセプチュアル・アート 

1950年代までのバンク―バーは、西は太平洋、東はロッキー山脈に隔たれ、首都トロントやニューヨークからはるかに離れた「世界の果て」とまで言われた土地だった。地元の美術界で評価されているのは、ファーストネーションが住まう原初的な森を、ロマンティックで表現主義的に描いたエミリー・カー(1871-1945)といった、モダニズムの伝統を引く画家たち。ヨーロッパでモダニズムと後期印象派の洗礼を受け、1910年代にカナダに戻ったカーも、当初は異端として理解されなかったが、52年にはベニス・ビエンナーレに展示される代表の一人となり、国民的なアーティストとして一つの規範となっていた。だが、ニューヨークを中心としたモダンアートの文脈においては、バンクーバーは注目に値しない地方都市の一つにすぎなかった。

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バンクーバー・アート・ギャラリーでエミリー・カーの作品を前に授業を受ける子どもたち


ところが、それに大きな変化が訪れるのが1960年代後半だ。当時のモダンアート界では、グリーンバーグが唱えたメディウムとしての物質的な特性ではなく、作品の概念的な特性や思想性を重視する潮流が生まれていた。それはソル・ルウィットのエッセイ「コンセプチュアル・アートに関する断章」(1967)によって、コンセプチュアル・アートとして広く知られるようになる。コンセプチュアル・アートは、絵画の純粋性を追求し、フォーマリズムとして制度化された芸術の地位を否定するために、一般に流通している写真の情報伝達、エディトリアル、アーカイブ的な機能に注目し、作品に積極的に取り込んだ。同時代に展開したポップ・アートの文脈においても、複製技術、マスメディアとしての写真は、その通俗性、日常性により、大量消費社会の大衆文化のアイコンとしてクローズアップされている。モダニズムの超克をもくろむアートにおいて、写真は極めて有効な手段として用いられた。 

そして、1960年代半ば頃から70年くらいまでの、写真を重要な要素として利用したコンセプチュアル・アートの試みがフォトコンセプチュアリズムと呼ばれるようになる。その代表的な作品が、エドワード・ルシェ《TwentySix Gasoline Stations(26のガソリンスタンド)》(1963)や、ダン・グラハム《Homes of America(アメリカの家)》(1966-67)だ。 

ルシェは街道を現代社会におけるひとつのシステムとみなし、そこに存在する26か所のガソリンスタンドを、デッドパン(無表情)でミニマル、客観的なスタイルで写真に撮り、本の形で提示した。それはガソリンスタンドという、日常のありきたりなモニュメントに対するオマージュでもあり、確立された美に対する批判の現れでもあった。疎外された郊外を移動しながら撮影するという手法は特に、モダニズム芸術写真の代表格ともいえるロバート・フランクの『The Americans』(1958年)でとられた手法でもあり、当時のはやりにもなっていた。ルシェの作品はそうした郊外を美的でドラマチックに撮り収める作家主義的クリシェに対する批判性も有していたとされる。 

グラハムの《Homes of America(アメリカの家)》は、フォトジャーナリズムで多用されたフォト・エッセイのフォーマットを用い、日常性を湛えたカラー写真による不動産の広告のような写真群をテクストとともに提示したもの。この試みは、美術批評家のベンジャミン・ブクローによって、テクストを用いることで伝統的な芸術空間の破棄を試み、ミニマリズムの限界を提示した批判的な作品として解釈されたが、グラハム自身は郊外というアルカディアに捧げる詩のようなものだったと言っている。いずれにせよ、それまであまり注目されることのなかった郊外のありきたりな家の外観(ウォーカー・エバンス的に内部のディティールを写すのではなく)を広告写真的に撮影し、ルポルタージュ的に提示する彼の手法は挑発的で、大衆消費社会におけるアートの可能性を写真とテクストを用いて問うものであった。


バンクーバーのフォトコンセプチュアリズム 

こうした「中央」のアート界に出現したコンセプチュアル・アートの潮流と並行するようにして、周縁の地バンクーバーでも、イエインとイングリット・バクスターによるアート・コレクティブN.E. Thing Co.(1966-78)が、写真を用いたコンセプチュアル・アートを制作していた。「メディアはメッセージである」というアフォリズムを唱えたマーシャル・マクルーハンの思想に影響を受けたN.E. Thing Co.は、アートや社会における形式、フレームに着目し、会社組織での作品の発表を試みている。《A Portfolio of Piles》(1968)では、工場などが立ち並ぶ郊外で見つけた59個の積み上げられたモノ(木材、石、スープボール、鎖など)の写真をバンク―バーのポートレイトとしてタイポロジー的に提示。バンク―バーにおけるフォトコンセプチュアリズムの最初期の試みとされている。 

バンクーバーにおけるこうした試みは、N.E. Thing Co.だけが例外的に行っていたものはなかった。当時ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の学生だったクリストス・ディキアコスは、現代美術の新たな動向に早々に着目し、展覧会「Photoshow(New Attitudes in Photography)」(1969-70)を学内のギャラリーで企画。この展覧会には、ダグラス・ヒューブラー、ブルース・ナウマン、ダン・グラハム、エド・ルシェといった写真を用いた国際的なコンセプチュアル・アーティストのほか、イエイン・バクスター、イアン・ウォレス、ジェフ・ウォール、ディキアコスといった、バンク―バーの同世代のアーティストたちが参加した。これはフォトコンセプチュアリズムの作品を包括的に展示したバンク―バーにおける最初の試みであっただけでなく、世界においても最初期の試みの一つである。 

次いで、バンクーバー・アート・ギャラリーで、「芸術作品の非物質化」としてコンセプチュアル・アートを定義、牽引した批評家ルーシー・リッパードが企画した展覧会「955,000」(1970)が開催される。(タイトルはバンクーバーの人口にちなんだもので、展覧会のオフサイトイベントとして、ロバート・スミッソンの「Glue Pour」(1970)のパフォーマンスが、リッパードの立ち合いのもとUBCで行われ、ディキアコスがパフォーマンスのドキュメントを写真で残している。)これもシアトルに続き、北アメリカでコンセプチュアル・アートを包括的に提示した展覧会の最初期のものであった。この展覧会にも、ヴィト・アコンチ、メル・ボックナー、ダン・グラハム、河原温、ジョゼフ・コスス、ブルース・ナウマンといったアメリカで活躍する作家のほか、N.E. Thing Co.、ディキアコス、ジェフ・ウォールといった地元の作家が参加していた。 

同年に、ニューヨーク近代美術館でも、最新の美術の動向であるコンセプチュアル・アートを紹介した展覧会「Information」(1970)がキーナストン・マクシャインの企画で開催され、先の展覧会にも出ていたアーティストのほか、ハンス・ハーケ、ダニエル・ビュレン、ベッヒャー夫妻、ビクター・バーギンなど、アメリカ、ヨーロッパなどから100名ほどのアーティストが出品した。バンクーバーからはN.E. Thing Co.のほか、ジェフ・ウォールが参加している。この展覧会では、1960年代後半からの美術が、メディウムとしての物質的条件を逃れることによって流動化し、写真、ビデオ、印刷物、ファックス、郵便などのコミュニケーション・システムを有効に用いることによって、国際化、情報化しつつある動向が示されていた。 

だが、この展覧会はコンセプチュアル・アートの早すぎる回顧展とも評され、その勢いは70年代に入ってから急速に衰えていく。コンセプチュアル・アートはモダニズムを乗り越えることを目指していたものの、美的で抽象的でミニマリスティックな方法を主としたモダニズムの流れを引いたアバンギャルド美術の域を超えることはできず、情報化社会によって急速に多様化する現実に対応しきれるものではなくなっていた。代わりにテクストを有効に介在させることで、リベラルポリティックス、マスメディア、フェミニズム、環境主義など、現実の政治や経済にも目を向けた様々な方向にアートは拡散する。その結果、コンセプチュアル・アートを基盤としたフォトコンセプチュアリズムも、70年代中盤には終焉を迎えたとされる。 

こうして、短期間に終わった活動ではあったが、バンクーバーで活躍するアーティストたちにとっては、一線で活躍する国際的なアーティストや批評家たちと交流する機会となり、世界的にもその存在が認知されるきっかけとなった。


郊外都市バンクーバーと国際化

では、なぜそれまでは一地方都市にすぎなかったバンクーバーのアーティストたちは、このフォトコンセプチュアリズムにおいては、世界的にも最先端の試みとして評価されるような作品を生み出すことができたのだろうか?

「Information」展でも見られたように、60年代後半からのコンセプチュアル・アートに代表される美術の新しい動向は、従来の物質的条件から解放され、写真、印刷物、テクストなど「情報」を主としたコンパクトな形態をとっている。そこでは「複製」と「本物」の違いは些少なものとなり、オーセンティックなアートにアクセスしづらい地方のアーティストも最新のアートに触れると同様、発信もすることができた。つまり、どんな地方に住むアーティストでも、認知される機会があれば、国際展にも容易に参加できることを意味していた。1960年代までは隔離された一地方で、国際的な動向よりも地域の主観主義的、ロマンティック美術の伝統に根差したアート・コミュニティを築くしかなかったバンクーバーが、1960年代後半から突如世界の表舞台に立つようになったのは、非物質的またはミニマルな形態を志向するコンセプチュアル・アートというフォーマットが大きな役割を果たしている。

しかし、バンクーバーにおいてコンセプチュアル・アートはメインストリームにはなりえず、一部の知的関心のある仲間内に広まったにすぎなかった。だが、それゆえに市場原理とも関係のない、理論的探求心にもとづいたピュアな活動として、NYのアーティストたちとも比肩するレベルの活動になりえたといえる。では、そうした活動が一体どうやって同時代のNYのアーティストや批評家に知られることになったのだろうか?

その要因の一つには、バンクーバーで活躍していたアーティストが1960年代頃からよく海外に出かけ、同時代のアメリカ、ヨーロッパで行われていた活動に敏感に反応していたということがある。また、1955年にブリティッシュコロンビア大学(UBC)に創設された美術科の主任教官であったB.C.ビニングを中心に、1961年から71年までの毎年、国際アートフェスティバルが開催され、美術家、音楽家、詩人、ダンサーといった様々な分野で活動する知識人が、NYやサンフランシスコなどから招聘されたことが挙げられる。バンクーバーのアーティストに大きな影響を与えたマーシャル・マクルーハンや、バックミンスター・フラーもこのイベントに参加している。こうした機会を利用して、バンクーバーのアーティストは一線で活躍する知識人らと活発な議論を行い、最新の情報を取り入れ、作品を見せ、様々なフィードバックを得ることによって、思考や作品を深めていったのだろう。

ディキアコスが展覧会を企画したように、UBCにはアートギャラリーも併設されており、1960年代はUBCを中心に、様々なアート活動が繰り広げられることになった。N.E. Thing Co.の一人であるイエイン・バクスターもこのUBCで教え、後進のアーティストたちを育てている。ジェフ・ウォールと並び、バンクーバー・スクールを語る上で外すことのできないイアン・ウォレスもUBCでバクスターとビニングに学び、美術史の修士学生として学ぶ傍ら、67年には同大学で教えはじめ、数歳しか違わないジェフ・ウォールやロドニー・グラハムらを指導する立場にあった。彼らは互いに刺激しあいながら、研鑽を深め、写真というメディアの可能性を模索する。

特に、バクスターの《A Portfolio of Piles》(1968)は、バンクーバーの若手アーティストたちに一つの指針をもたらしたといえるだろう。「Information」展に出品されたジェフ・ウォールの《Landscape Manual》(1969)は、バクスターと同じくバンクーバーの郊外に出かけて撮影したもので、バクスターや、ダン・グラハム、エド・ルシェといったコンセプチュアリストが採用した、ミニマリストのタイポロジー的な美学を模倣している。写真をまとめたブックレットの表紙には25セントという安価な値段が印刷され、消費社会における複製技術としての写真の役割を強調し、その美的な価値を否定するものであった。だが、バクスターと違ってそれらをすべて車の窓から写すことによって、旅行写真の手法や、シネマ的な要素も融合させて形で提示しており、ミニマリズムには収まらない方法をすでに模索しているといえる。

この時期、ウォールのほかにも、ディキアコスやウォレスも同様に車の窓からバンクーバーの郊外をスキャンするように撮影した作品を制作している。ウォレスはそれらを時間と場所の移動を示す連続的な写真で提示し、「literature of the image(イメージの文学)」と呼んだ。郊外はレディメイドの日常のモノ(家や工業製品や廃棄物など)が至るところにあり、それらをアイロニックな形で収集するにはまたとない場所だった。

フィルム作家で批評家のデニス・ウィーラーはディキアコスが企画したUBCの展覧会レビューで彼らの写真を「defeatured landscape」(特徴のない風景、顔のない風景、打ち捨てられた風景とでも訳せるか?)と評し、以降もこの言葉はバンクーバーで活躍するアーティストたちに共通する一つのテーマとして、ウォレスなども好んで用いる支配的な言説となっていった。そこには、それまでのモダニズム絵画の伝統にあった、自然主義的でロマンティックな大自然としての表象へのアンチテーゼとしての意味もあった。(だが、その一方で、そのカテゴリー以外の写真をバンクーバー的な写真とは認めないという排他性や、様々な歴史や社会の層を反映しているはずのバンクーバーの郊外の光景を、何もない土地としてまなざす視線にはコロニアリズム的な要素もあると、近年では批判もされている。)

ウォレスはバンクーバーがフォトコンセプチュアリズムを代表するような場所になったのは、この時代のモダニズムにとっての主要なテーマがメディウムだけの問題ではなく、リージョナリズムも大きな意味をもっていたからだと指摘している。バンクーバーはモータリゼーションの進展により、1950年代から60年代に大規模な開発が行われ、ビルや工場が建ち並ぶ街に変貌しはじめていた。60年代半ばには人口も100万人に近づき、都市部における計画的な市街地整備とジェントリフィケーション、及び低密度の郊外住宅の増加が顕著になる。60年代末には、機能性だけを重視し、市の中心部に高速道路を通す計画への反対運動も巻き起こっている。

バクスターの《A Portfolio of Piles》の試みが、バンクーバーのポートレイトを意図したものであったように、他のアーティストたちも、急激に変貌する郊外や町の様子を、写真というメディアを使って記録することへの関心は少なからずあっただろう。その形式として採用されたのが、ニューヨーク近代美術館のジョン・シャカフスキーによって確立されたモダニズムの芸術写真としてのフォーマットではなく、当時の最先端にあったコンセプチュアル・アートのスタイルだった。だが、郊外や風景といった現実を写した写真においては、その記録、描写するという機能は常に意味の複数性を内包し、ミニマルで単一な「コンセプト」とは基本的には相いれない。そこにフォトコンセプチュアリズムの限界があったといえるだろう。


フォトコンセプチュアリズムのその後とバンクーバー・スクール

ウォールは1995年に記した「「取るに足らないものの印」-コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相」のなかで、1960年代のフォトコンセプチュアリズムを振り返り、それをフォトジャーナリズムとアマチュアリズムの模倣、パロディとして論じている。そして、それがラディカルな還元主義の方法論として、「コンセプチュアル・アートの帰途の核心部にある還元主義の知的任務を達成することができた」とする一方で、写真は「描写」するという機能をもつため、純粋な(言葉による)コンセプチュアリズムたりえなかったという。

彼は、フォトコンセプチュアリズムの限界について、論の結びでこう記している。

「それゆえ写真は、経験がどのようなものかを示すことによって、その被写体を示す。写真は「経験の経験」を与えるのであり、このことを描写の意義として定義づけるのである。この観点から言えば、コンセプチュアル・アートに背を向け、還元主義とその攻撃に背を向けることは、写真の役割であり課題であったと言えるだろう。だとすれば、フォトコンセプチュアリズムは、芸術としての写真の前史における最後の瞬間であり、旧体制の終焉であった。それはまた、このメディウムを芸術的ラディカリズムとの独特の隔たった関係から解放し、その<西洋的画像>の結びつきからも解放しようとするもっとも持続的で、洗練された試みでもあった。その解放を行うことの失敗において、フォトコンセプチュアリズムは<画像>についての我々の概念を変革し、コンテンポラリー・アートの中心的なカテゴリーとして、その概念が1974年頃までに回復するための諸条件を作りだしたのである。」
(ジェフ・ウォール「「取るに足らないものの印」-コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相」(甲斐義明編訳『写真の論理』月曜社、2017年、p141-142)

ウォールはコンセプチュアル・アートやモダニズムの前衛主義に対する不満から、フォトコンセプチュアリズムに見切りをつけ、1970年より作品の制作を中止。同年にロンドンに移ったウォレスの後を追うようにして渡英し、73年までロンドン大学のコートールド美術研究所のT・J・クラークの下で学ぶ。そして、カナダに帰国後は制作の傍ら大学で美術史を教え、78年にドラクロワの影響を受けて制作したライトボックスを用いた最初の大型作品《The Distroyed Room》(1978)で脚光を浴びる。(ライトボックスを用いて作品を作ったのはウォールがはじめてではなく、1967-68年頃にN.E. Thing Co.が用いて作品を制作しているようだ。)以降、ウォールにとっては19世紀に至るまでの西洋の具象絵画の伝統を、どのようにして写真というメディウムを用いて引き継いでいくかが新たな関心となる。ウォールはこの具象絵画の伝統との連続性を強調するため、自身の作品を「写真」ではなく、「画像(ピクチャー)」と呼ぶことを好むようになった。

ウォールの解釈では、フォトコンセプチュアリズムは1970年代半ばには終焉した。よって、以降の彼の活動に代表されるバンクーバーのアーティストたちの作品は、ポストコンセプチュアルフォトと呼ばれるにふさわしいだろう。

だがウォールより一足先にイギリスからバンクーバーに帰って来たウォレスは、ウォールのようにフォトコンセプチュアリズムが1970年頃に終息したとは考えていないようだ。ウォレスはバンクーバーにおけるフォトコンセプチュアル・アートを3つのステージにわけている。

1)1960年代中頃から末にかけての、コンセプチュアル・アートで写真が利用された時期 
2)1970年代の、パフォーマティブで理論的、記号論的作品における、ナラティブでシネマティックな戦略が多様に発展した時期
3)1980年代以降の、レディメイドや「流用」のテクニックを用いて、マスメディア像を批判的、脱構築的に援用した時期。

ウォレスはこれらのフォトコンセプチュアル・アートの流れを、時にフォトコンセプチュアリズムという言葉に総称させ、それが60年代後半から70年代前半の限られた時代の特定のアーティスト一群による試みであったのではなく、N.E. Thing Co.やウォレスを起点とした、次世代、次々世代の写真家たちを含むバンクーバーに特有の活動として位置づけようとする。

ウォレスは帰国後、1972年からヴァンクーバー・スクール・オブ・アート(後のエミリーカー美術大学)で教えはじめ、1970年代後半から80年代半ばまで、「アートナウ」というビジティング・アーティスト・プログラムを組み、ダニエル・ビュレン、ダン・グラハム、バーバラ・クルーガーといったアーティストを大学に呼んでいる。こうした流れにのって、フォトコンセプチュアリズムが終息したとされる1970年代後半からも、バンクーバーにはたくさんのアメリカのアーティスト(ジョセフ・コスス、マーサ・ロスラー、アラン・セクーラら)や、批評家(ベンジャミン・ブクローら)が継続的に訪れていた。

「アートナウ」の授業には、ロイ・アーデン、スタン・ダグラスといったバンクーバーの次世代を担うアーティストも参加している。ウォレスはこうした教え子たちの活動を60年代後半から連綿と続く、フォトコンセプチュアリズムに端を発した「バンクーバー・スクール」の一環として位置づけることで、海外からの注目を彼らにも注がせようとする教育者としての配慮とともに、その原点に自分たちの世代の活動を据えることで、その革新性と正統性が確保されるという利点もあったに違いない。

1980年代以降はバンクーバーにおいても現代美術への理解は高まったとはいえ、マーケットはアメリカに頼らざるを得ない。この頃からウォレス、ウォール、ロドニー・グラハム、ケン・ラムといったバンクーバーのアーティストはNYでの展覧会などに呼ばれることも増えるが、グローバリゼーションの波に飲み込まれるアート界で生き残るためには、「バンクーバー・スクール」というブランド化は有効な差異化の役目を果たしただろう。(余談になるが、フィンランドの「ヘルシンキ・スクール」についても、アールト大学の学生たちをまとめ、海外に売り込むための戦略としてのブランド化の側面が強いが、バンクーバー・スクールにも同様の傾向があったように思われる。)

しかし、特にウォールに対するマイケル・フリードや他の批評家たちによる評価や彼の名声と相まって、バンクーバー・スクールは確たる実体もないままに、その名前だけが一人歩きをしはじめる。その結果、バンクーバーといえばコンセプチュアル・フォト(あるいはポストコンセプチュアルフォト)のバンクーバー・スクールという言説だけが突出することとなり、それ以外の活動にはなかなか眼が向けられないという状況が生まれる。それに対する反発から、近年ではバンクーバー・スクールという言葉はあまり使われなくなっている傾向があるのかもしれない。

たとえば、首都オタワにあるカナダ写真インスティテュート(この前身であるカナダ国立映画制作庁(NFB)は、イギリスでドキュメンタリー映画運動をおこしたジョン・グリアソンによって1939年に設立されたもの。1985年にカナダ国立美術館付属でカナダ現代写真美術館となり、2015年にはカナダ写真インスティテュートとして改編された。)では、2017年に「カナダの写真 1960-2000」という展覧会が開催されている。この展覧会は、この40年間に活躍した71人の写真家を紹介したもので、このなかにはジェフ・ウォール、イアン・ウォレス、ロドニー・グラハム、ロイ・アーデンといったバンクーバー・スクールに属するとされる写真家も含まれている。だが、カタログの解説文のなかではコンセプチュアル・フォトについては触れられていても、バンクーバー・スクールへの言及は見当たらず、ウォレスやアーデンは、個性的な一軒家の写真をタイポロジカルに撮影したジム・ブロイケルマンらと同じく、移り行くバンクーバーのシティスケープを撮影した写真家として説明される。

また、バンクーバー・アート・ギャラリーでも同年に、1950年代末から今日までの写真とビデオを用いたアーティストを集めた展覧会「Pictures From Here」が開催されている。展覧会を観ることは叶わなかったが、企画者のグラント・アーノルド氏に話をうかがったところ、ここでも「フォトコンセプチュアリズム」や「バンクーバー・スクール」といったテーマはあえて設けず、国際的に注目をあびてきた、ライトボックス、タブロー、大型写真だけに限定されない、バンクーバーにおけるピクチャーメイキングの豊かな試みを紹介することに重点がおかれていたようだ。ほとんどが写真からなる展覧会のタイトルに「画像(ピクチャー)」という言葉を使っているのも、「写真」を芸術写真の狭い文脈にとじこめるのではなく、フォトコンセプチュアリズムやポストコンセプチュアルフォトなどの文脈も踏まえた上での、ビデオも含めた現実を表象した「画像」のあり方を問おうとする意図がくみ取れる。

様々なポリティクスが関与し、批判もされているバンクーバー・スクールという言葉はあえて用いず、相対的な観点から様々な写真の実践を見ようとするのが、近年の動向のように推察される。


バンクーバー写真の多様性

こうした背景をもつバンクーバーの写真の現況はどういうものか? 

以下では、バンクーバー・スクールとして紹介されることの多い、ジェフ・ウォールイアン・ウォレスクリストス・ディキアコスロドニー・グラハムロイ・アーデンスタン・ダグラスといった作家以外の、バンクーバーで活躍する作家の活動を簡単に紹介していきたい。(本当はバンクーバー・スクールでまとめて見るべきではないが、今回はひとまずそれ以外の作家に重点をおいておく。)

ここ10数年で評価が高まったのが、2007年にバンクーバー・アート・ギャラリーで初の回顧展が開かれたフレッド・ヘルツォーク(Fred Herzog)だろう。1930年にドイツで生まれたヘルツォークは52年にカナダに移り、病院で写真技師として働く傍ら、ビルボードのあふれる街並や車、行き交う人々といったバンクーバーのシティスケープを、コダクロームのリバーサルフィルム独特の鮮やかさでとらえていった。50年代、60年代は、いわゆる芸術写真はモノクロでとられることが多く、カラー写真は広告などでの使用が主であったために、なかなか芸術とは認められなかったが、ヘルツォークはカラースライドフィルムにこだわり続け、「ニュー・カラー」の先駆けともいえる活動をしていた。湿り気を帯びた鮮やかな色調でとらえられた古き良きバンクーバーの街の景色はノスタルジーを喚起するとともに、バンクーバーにおけるモダニズム・カラー写真の最初期の実践として評価されている。

古き良きバンクーバーが次第に姿を消し、都市化が急速に進んでいく、その後の70年代のバンクーバーを写し留めたのがグレッグ・ジラード(Greg Girardだ。ジラードの《Under Vancouver》(1972-1982)は、開発により大きく変容しはじめる1970年代のバンクーバーの、取り残され、見過ごされがちな街の暗部を、モノクロまたは夜の人工光の明かりをもとにカラーで撮影した写真だ。10代後半の多感な時期にとりはじめられたこのシリーズには、不安と欲望に満ちたバンクーバーの姿がとらえられている。だが、86年に開催される万博に向けて、バンクーバーは地方の港湾都市から自然に満ちた理想的な文化都市へと変容していく。ジラードはバンクーバーに代わるディストピアを探すべく、その後は数十年にわたり、香港、上海、九龍、ハノイ、沖縄といったアジアの都市に拠点を移し、その社会的、物理的な変容を、深い闇に注がれた光のなかでとらえている。ジラードは日本にも一時滞在しており、1970年代から80年代の東京をとらえたシリーズや、基地の街・沖縄に焦点をあてた写真集『Hotel Okinawa』(2017)などがある。

ウォレスやウォールと同世代で、当初はモノクロのドキュメンタリースタイルの写真からはじまるが、次第にテクストを用いたり、彫刻的なインスタレーションを行ったりコンセプチュアルな方向も取り入れていくのが、今回の東川賞受賞者となったマリアン・ぺナー・バンクロフト(Marian Penner Bancroftだ。義理の弟デニス・ウィーラー(ランドアートの先駆者であるロバート・スミッソンとも親しく交わり、フィルム制作や批評を通してバンクーバーのアートシーンを牽引していた)が白血病で亡くなる過程をパーソナルドキュメンタリーのタッチでとらえた写真シリーズ《For Dennis and Susan: Running Arms to a Civil War》(1977)で注目を浴びたバンクロフトは、その後も、家族や身近な事物にまつわる自伝的、個人的記憶をもとに、作品を紡ぎだすスタイルを貫いている。ファーストネーションを除くほぼすべての国民が、別の国から移住してきた歴史をもつカナダにおいて、バンクロフトも例外ではなく、祖父母はウクライナとスコットランドからの移民だという。さらに、祖父は同化政策の一環として、ファーストネーションの子どもを家族や共同体から引き離して西洋的な教育を施す寄宿学校の運営にもかかわっていた。バンクロフトは、西洋文化を伝える幼少期に読んだ絵本や、母の役割やジェンダーについての作品、失われた水脈を可視化する作品によって、カナダにおけるヨーロッパからの移民による社会の歴史がいかに発展してきたかを探るとともに、その発展と引き換えに奪われていったファーストネーションにとっての聖地、テリトリーの意味を問いかける。身近に生育する外来種の植物をクローズアップで撮影した近作《radial systems》も、広い意味における「移住」をテーマにした作品だ。

同じく移民の問題に取り組むのが、韓国で生まれ、8歳のときにカナダに移住したジン・ミー・ユーン(Jin-me Yoonだ。ユーンは、アイデンティティの問題を、文化、民族、歴史、ジェンダー、ネイションなどの観点から問うた作品を、写真、ビデオなどを用いて制作している。《Souvenirs of the Self》(1991)は観光地アルバータへの団体ツアー旅行に参加し、記念写真的に自身のポートレイトを撮影することで、ツーリズムの文脈で形作られてきたカナダの典型的で広大な「風景」のなかで、自と他の関係を問うた作品だ。集団のなかでの違和感や、無意識、記憶がアイデンティティにいかに作用するかをテーマに作品を作っている。

バンクーバー・スクールにも当てはまるとされるが、男性優位のモダニズムの歴史のなかでは、女性アーティストはいつもマージナルな存在として見過ごされがちだ。絵画、写真、彫刻といったジャンルに入る作家であればまだしも、インターメディアなアーティストとなるとさらに滑り落ちる確率は高くなる。そうした存在に焦点をあてたのが、自身もクラッシックの歌手、即興音楽家としてのキャリアの一方、写真家、ビジュアル・アーティストとして活躍するキャロル・ソイヤー(Carol Sawyerの「Natalie Brettschneider」シリーズだ。ソイヤーは1920年代~30年代にかけてヨーロッパで活躍していたダダやシュルレアリスムの女性アーティストのリサーチを行うなかで、資料のほとんどが男性作家のミューズや被写体としてのものであり、彼女ら自身のアーカイブはほとんど残っていないことを目の当たりにする。それから20年ほどにわたり、ヨーロッパだけでなく、カナダの、特に複数のメディアにまたがる活動を行う女性アーティストについてのリサーチを続け、そのアーカイブや資料をもとに、Natalie Brettschneiderという架空の女性パフォーマンス・アーティストを創作する。そして、自ら演じた写真作品や映像を展示した展覧会を昨年バンクーバー・アート・ギャラリーで開催した。歴史というものが、誰によって、どのように作られてきたかということを、アイロニカルでユーモアにあふれた手つきで提示した作品だ。

UBCでウォール、ウォレス、アーデン、ダグラスらに学んだシルヴィア・グレイス・ボルダ(Sylvia Grace Bordaは、ポストコンセプチュアルフォトの新しいあり方を、カメラやモダニズムの原理にまで立ち返り、追求する作品シリーズを展開している。コミュニティを巻き込みながら、食べられるフォトグラム・クッキーを制作販売するなど、ユーモアとウィットにとんだ作風は、シリアスで孤高の作家というモダニズム的な作家像への批判性ももっている。「Every Bus Stop in Surrey, BC」(2004-05)は、ルシェのガソリンスタンドの作品を念頭におきつつも、サリー市にある800以上ものバス停をすべて撮り収めることによって、コンセプトだけには収まらない、町のアーカイブとしても機能している。「Farm Tableaux」シリーズ(2013-14)では、絵画の世界ではミレーの絵にあるように繰り返し主題として描かれるが、アート写真においてはほとんど顧みられることのない「農業」をあえてテーマとし、グーグルと協同し複数のカメラを用いて精細に撮影した画像を、ストリートビューのなかに実際にマッピングして公開した。社会の基部にありながら表立っては見えてこない現代の「農業」の写真によるドキュメントであるとともに、観者がマウスを使いながら、写真のなかにインタラクティブに関与できるといった側面ももつ。ソーシャルネットワーク時代における、社会との関わりをもつ新たなアートの可能性を探った作品だ。

サイモン・フレーザー大学でジェフ・ウォールに学んだスティーヴン・ワデル(Stephen Waddellは、ウォールと同じく、絵画の伝統のなかに自らの活動を位置づける。ワデルは環境のなかで人をいかに描写するかという問題を考えるなか、もともと絵画のためのスケッチとして利用していた写真を、2000年代頃から主な手段として用いはじめた。写真集『Hunt and Gather』(Steidl, 2011)にまとめられた写真はスナップショットの手法で写されたものだが、場面の選択や中盤カメラでの撮影もあわさって、隅々まで意識が行きわたったステージドフォトのようにも、瞬間をとらえようとした印象派のデッサンのようにも見える。彼の関心はかつての画家がジャンルペインティングで描写したように、現代に生きる人々の様々な姿を、写真を用いた「タブロー」として写し留めることだ。それをあくまでステージドフォトではなく、日常の偶然の光や構図のなかにとらえようとする。「Dark Matter Atlas」(2014-16)では、こうした現代の風俗を描くカラー写真の試みと対照的に、世界各地にある地下洞窟をモノクロで撮影している。カラーとは違うモノクロの可能性を考えたときに行き当たった対象が、洞窟の闇の世界だったという。洞窟は人類にとっての絵画の始まりの場所でもある。石灰岩が形作る様々な造形が闇から立現れる姿をとらえた大型のプリントを前に、人間の想像力の源泉に触れるような気がする。

ワデルより年は若いが、同じくバンクーバー・コンセプチュアルフォトの次々世代と目されるカリン・ブーバシュ(Karin Bubaŝの「Studies in Landscape and Wardrobe」も、写真を用いたタブローに分類されるだろう。このシリーズは、アルフレッド・ヒッチコックや、ミケランジェロ・アントニオーニといった監督のシネマにおいて、風景のなかの女性とそのファッションが重要なモチーフとなっていることに想を得ている。人気のない自然のなかに、昔風の美しいコスチュームを着け、決してこちらに顔を向けることなく佇む女性のいる風景は、神秘的でエレガントな光景として印象的である一方で、場違いさも感じられる。女性はただ「見られるもの」としてそこにあるが、顔が見えないことでファッション写真とは違う不穏さが漂っている。画面のなかに何かが起こりそうで起こらないサスペンスの感覚をとらえるとともに、絵画や写真の歴史のなかでも繰り返しテーマとされてきた女性と風景の関係についても考えさせられる作品だ。

同じく次々世代で、UBCでウォールに学んだエヴァン・リー(Evan Leeは、写真を用いてタブローを作ることではなく、写真とタブローの違いは何か、何が写真を写真だと認識させるのかということを原理的なところから問いかける作品を制作している。ダラーストアや百均で売っている品物を用いて、伝統的なオランダ静物画のような構図とライティングで見せた作品「Dollar Store Still Life」(2006)や「Hyakkin Style」(2017)では、フェイクと本物の違い、タブローと写真の差異、日常に簡単に手に入る安価な品が崇高に見えてくるポイントはどこにあるのかを考えさせる。また、スキャナーによって朝鮮人参を撮影した作品「Ginseng Root Study」(2005)やフェイク・ダイアモンドとしても使われるジルコニアをデジタルスキャンによって撮影した作品「Fugazi」では、人工と自然、価値あるものとそうでないものの違いや、カメラもレンズも用いないスキャニングの技法で生み出された複写は「写真」と呼べるのかどうかという問いを提起する。また、ジクレー・プリンターを用い、写真用紙の裏に写真のイメージをインクを吹き付け、紙に吸着されずに浮いたインクを絵の具のように操ることで、絵と写真の中間領域のようなイメージを作成した「Forest Fire」も、写真と絵の境界はどこにあるかを考えさせる。他にも、ボート移民のニュース写真を3Dプリンターを使って立体に再現した作品など、写真の領域をその原理に立ち返りながら拡張するような実験的な試みを数多く行いつつ、中国系移民としての自分のルーツの問題などを同時に探るような作品を制作している。

他にも、写真の原理に目を向けた意欲的な試みは多い。
ジェイムズ・ニザム(James Nizamは、光に焦点を当てた作品を制作している。ピンホールのようにしつらえた室内で、窓から入り込む光を鏡に反射させて光の多角形を作った「Thought Form」や、古い家を用いて、実際に屋根や壁などをカットし、そこから差し込む光で幾何学的な形を生み出した「Shard of Light」など、光の彫刻ともいえる作品だ。

カレン・ザラメア(Karen Zalameaは、ライティングや物体の反射などを駆使して、人工的に見える光景をアナログの手法で撮影した作品を制作している。他にも氷で制作したレンズによって自然を撮影する試みや、写真をファブリックに印刷することで、平面の壁掛けにこだわらない、自在な形態をとりうる作品の可能性を探るなど、実験的な試みを行っている。


デジタル写真やインスタグラムといったアプリが社会に広く浸透し、定型サイズで額装されたモノクロ写真がすでに古典技法の部類にみえてくるなか、写真を用いるアーティストの多くが「写真」の原理を問いかけるような作品を生み出している。これはバンクーバーに限ったことではなく、世界各地ですでに10数年以上前から同時代的に進行している現象だ。

一方、バンクーバーの作家の多くに顕著に表れていると思ったのは、一つ一つのイメージには固有の枠組みとそれに応じた大きさがあるという考えだ。写真は単なるイメージではなく、物質的で内容をもったタブローとして、それに向き合う観者の身体性を考慮に入れた形で作品が作られる。そのときに、額装も作品の一部として重要な位置を占める。こうした傾向もバンクーバーの作家だけに限った話ではないのだが、タブロー性にこだわる作家の割合は、これまでリサーチしたどの都市よりも多いように思われた。ウォールの影響は大きいだろう。これをバンクーバーにおけるポストコンセプチュアルフォトの流れということはできるのかもしれない。

だが、このポストコンセプチュアルフォトの流れも、タブローだけに限定されるものでもないだろう。タブローという点から考えると、ワデル、ブーバシュはウォール、ウォレスの流れをひくように見えるかもしれないが、コンセプトという点から考えると、ボルダ、リー、ザラメアのようなタブローの枠組みをはみだすような作品形態が生まれてくる。(また、ここでは挙げなかったが、郊外性やコラージュ性といったことを考えるなら、アーデンの流れを汲むようにも見えるジェフ・ダウナーの作品なども注目される。)

バンクーバー・スクールのその後、そしてポストコンセプチュアルフォトに興味をもってはじめたリサーチだが、結局のところ、見えてくるのは統一的なスタイルではなく、個々の作家の関心に応じた多様性だ。美術だけでなく、都市計画や、多文化共生の面でも世界から高い関心をもたれている割には、程よい「小ささ」を確保したバンクーバーという街において、アーティストたちは世界とダイレクトにつながりながらも、小さなコミュニティのなかで、先行世代からの刺激的な教えを受け継ぎながら作品を生み出している。流行にはそれほど左右されず、作品の意味、見せ方といったコンセプトを、じっくりと作品に向き合いながら考える。ゆるやかでおおらかな時間の流れがそこにはあるように思われた。


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街の中心地にあるバンクーバー中央図書館




参考資料:
Ian Wallace ‘Photoconceptual Art in Vancouver’(1988), "Thirteen Essays on Photography", Canadian Museum of Contemporary Photography, 1990
"Ian Wallace: At the Intersection of Painting and Photography", Vancouver Art Gallery, Black Dog Publishing, 2012
Jeff Wall ‘Foreword’, “Christos Dikeakos: Nature Morte”, Kelowna Art Gallery, 2014
Roy Arden ‘Sun Pictures to Photoconceptualism’, “Vancouver Collects”, Vancouver Art Gallery, 2001
ジェフ・ウォール「取るに足らないものの印」-コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相『写真の理論』(甲斐義明編訳、月曜社)
“Jeff Wall: Selected Essays and Interviews”, Museum of Modern Art, 2007
"Photography in Canada 1960-2000", Canadian Photography Institute, 2017

バンクーバーの美術館、ギャラリー:

バンクーバーの写真を用いたアーティスト:
N.E. Thing Co.
Fred Herzog
Ian Wallace
Jeff Wall
Rodney Graham
Christos Dikeakos
Roy Arden
Ken Lum
Stan Douglas
Marian Penner Bancroft
Henri Robideau
Jim Breukelman
Greg Girard
Jin-me Yoon
Carol Sawyer
Sylvia Grace Borda
Stephen Waddell
Evan Lee
Karin Bubas
James Nizam
Karen Zalamea
Jeff Downer
Dana Claxton
Barrie Jones
Arni Runar Haraldsson
Jayce Salloum
David Campion and Sandra Shields
Vikky Alexander
Elizabeth Zvonar

カナダの主要な写真フェスティバル:
コンタクト(トロント)
キャプチャー(バンクーバー)

カナダのアート批評誌:

リサーチでは下記の方々から貴重なご意見、ご協力をいただきました。多謝!
スタジオ・ビジットさせていただいたアーティストの方々
Grant Arnold @Vancouver Art Gallery 
Helga Pakasaar @Polygon Gallery
Pantea Haghighi @Republic Gallery
Jordan Strom @Surrey Art Gallery
Stephen Bulger @Stephen Bulger Gallery
原万希子さん
飯窪里由子さん








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by curatory | 2018-07-11 18:21 | 海外作家賞
2017年 06月 30日

ポーランドの現代写真(4)contemporary photographers in Poland

このブログで取り上げたポーランドの写真家

イェジィ・レフチンスキJerzy Lewczyński,1924-2014
ナタリアLL Natalia LL, 1937-
ユゼフ・ロバコフスキ
Jozef Robakowski, 1939-
グジェゴシュ・コヴァルスキGrzegorz Kowalski, 1942-
ゾフィア・クリク
Zofia Kulik, 1947-
テレサ・ギエルジンスカ
Teresa Gierzyńska, 1947-
ヴォイチェフ・プラジュモフスキ
Wojciech Prażmowski, 1949-
アンナ・ベアタ・ボフジェーヴィチAnna Beata Bohdziewicz, 1950-
ヴィトルド・クラソウスキ
Witold Krassowski, 1956-
ズビグネフ・リベラ
Zbigniew Libera, 1959-
ヴォイチェフ・ヴィルチク
Wojciech Wilczyk, 1961-
アグニエシュカ・レイズAgnieszka Rayss, 1970-
イゴール・オムレツキ
Igor Omulecki, 1973-
アネタ・グシェコフスカAneta Grzeszykowska, 1974- 
シモン・ロジンスキ
Szymon Rogiński, 1975-
ラファウ・ミラフ
Rafał Milach, 1978-
クシシュトフ・ピヤルスキ
Krzysztof Pijarski, 1980-
アンナ・オルオーヴスカ
Anna Orlowska, 1986-

他にも下記のような写真家/アーティストの作品を見る機会があった。

ミコワイ・ドゥゴス
Mikołaj Długosz, 1975
アダム・パンチュク
Adam Pańczuk, 1978-
トマシュ・シェルシェン
Tomasz Szerszeń, 1981-
イロナ・シュワルツ
Ilona Szwarc, 1984-

今回は取り上げなかったが、ミコワイ・ドゥゴスが出版した、共産主義時代に写真家組合から派遣された写真家たちが地方を撮影した記録写真を集めた写真集『latem w mieście / summer in the city』(2016)、批評家/アーティストのPaweł Szypulskiが、アウシュビッツから出された観光絵葉書を集めて出版した『Greetings from Auschwits』(2015)が、とても面白い試みだった。


下記のリンクも参考になる。

Adam Mickiewicz Institute 

A Foreigner’s Guide to Polish Photography 

Polish Photography - Trends & Developments in the 20th Century

ザヘンタ国立美術館

ワルシャワ国立美術館 

ウッジ美術館 

クラクフ現代美術館 

Asymetry Gallery

Magnetic Fields Gallery

Lokal 30gallery

FundacjaProfile Gallery

FundacjaArcheologia Fotografii

Piktogram

LEICA 6x7 GALLERY WARSZAWA 

KrakowPhotomonth 



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by curatory | 2017-06-30 10:05 | 海外作家賞
2017年 06月 30日

ポーランドの現代写真(3)contemporary photographers in Poland

ズビグネフ・リベラZbigniew Libera, 1959-

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LEGO Concentration Camp」(2001)ワルシャワ国立美術館での展示より
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Pozytywy (Positives, 2002-2003) 写真集『Fotografie』より

熊本現代美術館にも作品が収蔵されており、日本でもそれなりの知名度があるだろう。1980年代初期から活動をはじめるが、反政府的な出版やポスター制作のため投獄され、1990年代からはポーランドにおける「クリティカル・アート」の最前線で活躍する。玩具のレゴで強制収容所を制作した作品「LEGO Concentration Camp」(1996で物議を醸すなど、挑発的な作品を作り続けている。

近年はメディアやマスカルチャーにおけるイメージの重要性を分析するような、写真を中心に据えた作品を発表している。「Pozytywy (Positives, 2002-2003)では、世界的にも有名な、ナチスの強制収容所に捉えられた柵越しの囚人の写真や、ベトナム戦争時に泣き叫びながら裸で逃げる少女の写真などをもとに新たに写真を撮りおろし、トラウマとその表象の関係性について考えさせる。2012年には、戒厳令の街の通り、刑務所、架空の新聞のページなど、これまでの写真作品をまとめた最初の写真集『Fotografie』(Raster, 2012)を出版した。



ヴォイチェフ・ヴィルチクWojciech Wilczyk, 1961-

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Small Ghetto, View from Grzybowska Street towards the south-east, 18 March 2011
『Other City』より

 詩人としても活躍しているヴィルチクは、過去の痕跡を可視化し、想像することを促す作品を制作している。「Other City」は、歴史家であるElżbieta Janickaと共同で行ったプロジェクトで、2013年にワルシャワのザヘンタ国立美術館で展覧会が開催され大きな注目を浴びた。現在のワルシャワの中心地には、かつてナチスによって作られた最大規模のユダヤ人ゲットー(ワルシャワゲットー、1940-43)があった。そこから多数のユダヤ人が絶滅収容所に送られるなか、初めての武装蜂起が行われるも壊滅的に破壊される。その跡地には第二次大戦後にスターリンからの贈り物として文化科学宮殿が1955年に完成し、現在でもワルシャワの一等地にあるランドマークタワーとして威風堂々と聳えたっている。ヴィルチクは文化科学宮殿を含め、過去にゲットーがあった地区を高い建物上から大型カメラで俯瞰的に細部まで綿密に記録することで、今は存在しない「別の都市」を指し示す。すべてを覆い隠すかのように建設されたその後の社会主義時代、それに続く資本主義時代の諸相を、精緻に写された写真のなかに探り、想像することを促している。

他にも、現在では廃墟になったり、別の用途(映画館やコミュニティセンターなど)に使われている、かつてのシナゴーグや祈祷所を撮影した、ポーランドに遺されたホロコーストの痕跡を辿るシリーズ「There is no such thing as an Innocent Eye」など。過去に起こったとりわけ負の記憶が、いかに隠ぺいされつつも露わになっているかを可視化する試みを続けている。



アグニエシュカ・レイズAgnieszka Rayss, 1970-

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上)写真集『THIS IS WHERE THE END OF CITIES BEGINS』(Sputnik Photos, 2016)

下)写真集 『American Dream』(Institute Pro Fotografia, 2011)


ドキュメンタリー写真を主としたアーティストコレクティブである「スプートニク」の共同創設者。ポストコミュニズムの国がどのように西欧のトレンドをコピーし、ポップカルチャーが生み出されるかについてや、ジェンダーなどをテーマとする。「American Dream」(2005-2010)は、レイズが学生時代を過ごした共産主義時代には考えられもしなかった、ミスコンテストや有名になりたい願望を実現しようとする女性の姿を、批判的にというよりは、自らの姿を重ねあわせるような共感をもってドキュメントしたもの。近年ではエコロジーをテーマにランドスケープの撮影も行っている。



イゴール・オムレツキIgor Omulecki, 1973-

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Universe」シリーズより

ポーランドで暮らす身近な人たちを撮ったスナップ的な写真シリーズ「Beautiful People(1999 2003)などもあるが、近年では音を視覚的に表現したものや、顕微鏡で拡大した世界をとらえた写真など、実験的な試みを繰り返してる。特に「BIOS」プロジェクトでは、コンピューターに接続された生物機械として自身を観察したリアリズムの新しい形態を模索している。



アネタ・グシェコフスカAneta Grzeszykowska, 1974- 

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写真集『Love Book』(Raster, 2011)より

自己の消去や、自己と他者の境界を探るような作品を制作。家族アルバムの写真から自分の姿だけを消去した「ALBUM(2006)、顔に色を塗り、ネガプリントでも自分だけが白く浮かび上がるような差異化をほどこした「Negative Book」、自分の顔や身体のパーツを豚の皮を使ってレプリカを作り撮影した「Selfie」、シンディ・シャーマンの「Untitled Film Stills」をカラーでリメイクしたシリーズなど、時間をかけた丁寧な手作業を通じて、非常に完成度の高い作品を制作している。他にも、幼かった頃の記憶をもとにして手縫いで作った「人形」シリーズなど、自身の存在の境界やミメーシスの問題を、写真というメディアだけにこだわらず、イメージ全般、そして立体も用いた様々な手法によって問いかける。



シモン・ロジンスキSzymon Rogiński, 1975-

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ポーランドの地方都市を車で訪れ、夜がふけた暗がりのなかで輝く人工灯や車のヘッドライトのもとで撮影した「Poland Synthesis」(20032006)や、明け方の光の中で写した「Brightness (2004-2007)など、幻想的な光のもとに立ち現れた異次元の世界を写しだす。



ラファウ・ミラフRafał Milach, 1978-

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『The Winners』(2014)より

「スプートニク」の共同創設者。10年以上にわたり、ロシア語を話す地域、中央、東ヨーロッパにおける変化をテーマに撮影を続けている。ベラルーシで撮影された「The Winners」シリーズは、公的な権威によって「勝者」と認定された人たちを、表彰された所以の場所や物とともに撮影したもの。(ミンスクで一番素敵な階段、一番愛し合ってるカップル、一番効率的なジャガイモ農園など)。プロパガンダをそのままになぞって撮影することによって、現実とのギャップや、プロパガンダの意味などを問いかけている。



クシシュトフ・ピヤルスキKrzysztof Pijarski, 1980-
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JL-KP / Playing the Archive」(2011)より
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Lives of Unholy(200912)より

ポストモダンの社会におけるイメージと物のあり方について、モニュメント、アーカイブ、博物館、風景などを手がかりに作品を作っている写真家/批評家。写真の考古学を唱えたレフチンスキにオマージュを捧げた「JL-KP / Playing the Archive」(2011)は、レフチンスキが遺した膨大なアーカイブをアトラスのように提示することで、独自の相互関連を見出し、創造的な再発見をしようとする意欲的な試み。「Lives of Unholy(200912)は、時に非常に暴力的な形で塗り替えられていったワルシャワの歴史を、モニュメントやパブリック彫刻を通じて見ようとするビジュアル・アルケオロジー。「Sculpture of the Negative」(2015)は東プロイセン時代に繁栄したものの、第二次大戦中に存続をやめたローズ家の破壊された彫刻コレクションの断片と、同地域で戦前に撮影をしていたポーランドを代表する写真家故Zofia Chometowskaの写真アーカイブ(WW2で破壊されたワルシャワを撮影した写真など)を並列させることから現代的意味を読み解こうとするもの。

レフチンスキが唱えた創造的な写真の使用法の可能性を、批評だけでなく、他ジャンルの作家とのコラボレーションや制作の実践を通して探ろうとしている。





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by curatory | 2017-06-30 09:45 | 海外作家賞
2017年 06月 30日

ポーランドの現代写真(2)contemporary photographers in Poland

以下、ポーランドの写真家たちの簡単な紹介をしておく。


ナタリアLL Natalia LL, 1937-

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Consumer Art」ほか。ワルシャワ国立美術館の展示より

写真を主に用いたアーティストで、まず名前が挙がってくるのは、ナタリアLLとユゼフ・ロバコフスキだろう。両者ともポーランドを代表するアーティストで、80歳近くになる現在でも展覧会などの開催で精力的に活動している。

写真を中心に、パフォーマンスやビデオアートも制作。1970年にはPERMAFOギャラリーを共同で創設し、前衛アートの最前線としての役割を果たした。1970年代に制作した、バナナ(当時のポーランドでは高級品+性的隠喩)や、フランクフルト、アイスクリームを食べる女性(ナタリア本人と思われていることが多いようだが別人)を写した「Consumer Art」が代表作で、1975年頃よりフェミニストアートの文脈で国際的にも活躍する。80年前後から自身の身体的な不調もあってか、幻想的な「Dreaming」シリーズや、自らの身体を用いたパフォーマンス的な要素の強いシリーズなどを制作してきた。身体と精神の関係を、ガスマスクをかぶったり、悪夢ともいえるような非常に強いインパクトのあるイメージのなかで、意識や自然の様々な在り様をとらえようとしている。


ユゼフ・ロバコフスキJozef Robakowski, 1939-

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4 fields of depth, 1969 (Analytic-conceptual photography シリーズより)


ポーランド第二の都市ウッチを拠点に活動。実験的なビデオアートの第一人者とされ、1960年代はじめから実験的なフィルムの制作、70年代にはビデオアートも手掛けているが、最初のスタートは写真制作(1958-1967)からだった。60年代には「OKO」「Zero61」などのアーティストコレクティブを創設。ネオ・アヴァンギャルドの作家として、当時の共産主義体制下において厳しい検閲の問題に対抗するため、徹底してプライベートなテーマや日常性を取り上げながらラディカルかつユーモラスな作品を発表し続ける。ネオ・アヴァンギャルドアーティストたちの作品のコレクションや展覧会なども企画するなど、幅広い活動をしている。2016年にはロバコフスキの写真作品に焦点を絞ったカタログも出版された。


 グジェゴシュ・コヴァルスキGrzegorz Kowalski, 1942-

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左)フォトグラフィック・オブジェクトシリーズより 右)『Questions』(2014)より

自他の境を問うものとしてアートを用い、写真というよりは彫刻、パフォーマンスアート、インスタレーションを主とする作家といえるだろう。写真に関連したものとしては、1970年代に制作した、人の痕跡、記憶をとらえた「フォトグラフィック・オブジェクト」シリーズや、被写体に三つの質問を投げかけ、それに対する答えを写真に捉えた「PYTANIA/Questions (質問)」がある。建築家のオスカー・ハンセンの「OPEN FORM」の理論に共感し、批評家、教育者としても数多くの学生、アーティストを育ててきた。


 ゾフィア・クリクZofia Kulik, 1947-

1978-1987年はパートナーのPrzemyslaw Kwiekとともに、Kwiekulikというアーティストユニットを組んでいた。自らの居住スペースをギャラリーやワークショップの場として開放し、そこで起こった出来事の写真も含めたドキュメンテーションを作成。現在もそのアーカイブをいかにして整理し、創造的に用いるかということに心を砕いているという。1987年からはゾフィア・クリクとして単身で作品制作をはじめ、反復的なモチーフとしての裸体(アーティストのズビグネフ・リベラを被写体としている)をコラージュした曼荼羅のような作品を制作。形式的で非人間的な共産主義政権への批判ともとれるが、中世の絵画や、幾何学模様の美しいオーナメントのようにも見える作品の射程の幅は広い。


テレサ・ギエルジンスカTeresa Gierzyńska, 1947-

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ギャラリーで実際に見せて(触らせて)もらった「Touch」シリーズ。身体の断片が写真とともに提示される。

1967年頃から撮りためているセルフポートレイト、スナップ写真をもとに作られた「about her」シリーズなどがある。ほとんど交差することのない視線、身体の一部、裸の背中に記された夫の名前など、アーティストとして、そして著名な画家を夫にもつ妻、母として複雑に絡み合った存在である自身を「her」という視点から見返すことで、見られる存在としての自身を突き放しながらも、どこか愛おしんでいる感覚が伝わってくる。身体の一部を触覚的にとりあげた彫刻と、部分を切り取られた写真を並べたシリーズ「Touch」(1978)も、親密さのなかに浮かび上がる触覚性が際立っている作品だ。


ヴォイチェフ・プラジュモフスキWojciech Prażmowski, 1949- 

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『Fotografie 1987-1997』より

1990年代後半より作り始めた、家族写真やファウンドオブジェ、ネガ、モンタージュなどの手法を用いた「フォトオブジェ」シリーズが代表作。レフチンスキの「写真の考古学」との関連で語られることもあり、古い写真を用いて新しい物語を生み出そうとしている。フォトオブジェのシリーズだけでなく、1999-2000年にはポーランドの各地で失われつつある風景を撮影したモノクロ写真のシリーズや、ポーランドの代表的詩人チェスワフ・ミウォシュの足跡をリトアニアとポーランドに辿った想像上の旅を撮りおさめたシリーズなども発表している。ややもするとノスタルジックな美しさが前面にでた印象も受けるが、写真を用いて独特の詩的な世界を構築している。


アンナ・ベアタ・ボフジェーヴィチAnna Beata Bohdziewicz, 1950-

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『1981 Life Anew. Photodiary or a song on the end of the world』(2014)より。
左の写真のテレビ画面には「連帯」を結成した当時のレフ・ワレサが写り、
それを取材しているボフジェーヴィチの姿も真後ろにある。

もともとは考古学と民族学を学んだのちに映画を撮り始め、1980年代より意識的に写真の撮影をはじめるようになった。日常の個人的な記録としての写真とあわせ、1989年以降は政治的、社会的にも激動するポーランドをジャーナリスティックな視点からも撮影し、両方の写真を混ぜ合わせた「フォトダイアリー」シリーズを続けている。現在までに数千枚の写真が撮られたものを、展覧会などの発表の機会に応じて編集し直し、単文のテクストを写真に添えて提示する。過去には普通に行われていた発表物に対する検閲によって、展示を却下された作品も多数あったようだ。日常と政治が地続きでつながっていることを、時にシニカルに、時にウィットにとんだ手つきで示している。


ヴィトルド・クラソウスキWitold Krassowski, 1956-

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Afterimages the Polish(2009)より

社会ドキュメントやルポルタージュを撮り続けている写真家。写真集「Afterimages the Polish(2009)は、1989年から1997年までの写真を集めたもので、社会主義が崩壊してからのポーランドで生活する人々の様子が撮影され、高く評価されている。





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by curatory | 2017-06-30 09:33 | 海外作家賞
2017年 06月 30日

ポーランドの現代写真(1) contemporary photographers in Poland

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右手に霞む茶色の建物がスターリンから贈られたワルシャワのランドマークタワー、文化科学宮殿

 今年の東川賞海外作家賞(対象国:ポーランド)はアンナ・オルオーヴスカAnnaOrlowska, 1986-)に決まった。

 昨年10月にワルシャワに調査に行き、実際に会ったり資料を集めたりした作家と、他のノミネーターから挙がった分も含め、最終的には20人近くのノミネートリストができあがったが、オルオーヴスカはそのなかでも最年少で、おそらくこれまでの海外作家賞を受賞した作家のなかでも最年少だろう。

 リストに挙がった並居るメンバーをおいてオルオーヴスカが受賞に至ったのは、見えないものを巡るテーマを反復的に追求しながらも、既成の形式にこだわらず、新たな表現を探りだしていこうとする旺盛な表現欲と、それを形にしたときの完成度の高さにあったように思う。ワルシャワでアトリエにも訪れたが、写真を平面として扱うだけでなく、実際に形を切りだした立体の迷路の作品や、写真の表面にワックスを施して、温度が上がるとワックスが溶けて下の画像が現れる作品など、大学での修了制作が評価されてから数年間のうちに、実験的な作品を次々と生み出している意欲には驚かされた。今まさに油ののっている時期なのだろう。

 ポーランドの写真家は日本ではまだあまり馴染みがないだろうが、2006年には松涛美術館で「ポーランド国立ウッチ美術館所蔵「ポーランド写真の100年」展が開催されている。この展覧会ではウッチ美術館の所蔵品からアーティスト70人弱、200点余りの作品を選んで展示したもので、そのタイトル通りポーランド写真の100年を、第二次大戦前の1945年以前、社会主義時代の19401990年代、民主化が進んだ1990年代以降、フィルム・ビデオによる表現の4章に分けて概観している。企画担当は東川賞の審査員も務める光田由里さん。前年には、加須屋明子さん企画で展覧会「転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術」が国立国際美術館(東京都現代美術館にも巡回)で開かれ、ポーランドからはアルトゥール・ジミェフスキ、グループ「アゾロ」の映像作品や、ミロスワフ・バウカ、パヴェウ・アルトハメルの作品が紹介された。その後、同じく加須屋さんの企画で「存在へのアプローチ—暗闇、無限、日常ポーランド現代美術展」(京都市立芸術大学ギャラリー・アクア、2013年)が開催されるなど、ポーランドのアーティストは、中東欧の他の諸国に比べても日本では継続的な紹介がなされていると言ってもよいだろう。

 とはいえ、写真家の紹介は「ポーランド写真の100年」展以来あまりない。ジミェフスキもそうだが、映像を用いるアーティストで、写真も制作するといった作家は多いが、「写真」を主に発表している作家となると、発表される媒体も限られてくることが多い。今回は、ポーランド文化の海外発信を主に活動している政府機関のアダム・ミツキエビチ財団AMI)が写真家、ギャラリー、批評家などの紹介をしてくれた他、滞在中もスタディプログラムを組んでくれたため、効率的にリサーチを進めることができた。ポーランドの写真家について英語で参照できるウェブサイトもこのAMIのものが一番充実している、というかほぼ唯一のもので、情報に偏りがないかという心配もあったが、このサイトはキュレーターや批評家など、その分野の専門家に記事の執筆を依頼し、複数の視点から書かれたもののため信頼に足るものだった。

 東川賞海外作家賞の対象は国を定めているだけで、ジャンルや年齢などは特に規定がないので、リサーチの時点では、30歳代から70歳代くらいまでの若手から大御所、ドキュメンタリーからファインアートまでと幅広く見渡すことにしている。今回調べていくなかで気になったのは、30代、40代の若手・中堅と70代前後の大御所に勢いのある作家が多いが、その間の世代に際立った活動をしている写真家が、期待ほどは見当たらなかったことだ。(昨年のコロンビアの調査のときにも似たようなことを感じた。)大御所世代は、第二次大戦や戦後の共産主義への移行など激動の社会を生き抜き、1960年代前後にはネオアヴァンギャルド美術を牽引してきた。若手、中堅世代は1989年からの民主、資本主義への転換や2004年のEUへの加盟など、変化の時代の強風に曝されてきた。一方で、その間の世代はというと、1980年代にはじまった大型カメラを用いて風景の精密な描写を試みた「エレメンタリー写真elementary photography」と呼ばれる一派にもあるように、両方の世代に比べれば安定した(というか囲われた?)共産主義体制のもとに青春時代を過ごし、より内向きな、あるいは原理主義的な傾向のある作品を作る方向にむかうことが多かったのだろうか。より先鋭的な作家たちは、写真にこだわらない映像や立体などの表現も取り入れたマルチメディアな表現に向かったようにも思われる。

 もう一つ印象的だったのが、今回の調査のなかでイェジィ・レフチンスキJerzyLewczyński,1924-2014)の名前が繰り返し聞かれたことだった。レフチンスキは、誰が写した写真であっても、自由に創造的に利用することによって、写真を通して過去の出来事を再発見することを推奨した「写真の考古学 archeology of photography」を唱えた写真家/理論家で、1999年にはポーランドで最初の写真選集『Anthology of Polish Photography 1839-1989』を出版している。現在は、写真考古学財団(Archaelogy of Photography Foundation)が、Zbigniew Dlubak19212005)やZofia Chomętowska19021991)などのアーカイブなどとともに、レフチンスキのアーカイブを保管、運用している。この財団はアーカイブを保管するだけでなく、現代の写真家たちに積極的に活用させるプログラムや展覧会を企画し、過去の写真を倉庫に眠らせておくのではなく、リビングアーカイブとして創造的な利用を推し進めている。彼の考えが現在においても写真関係者に大きな影響を及ぼしているのは、彼の写真家/批評家としての評価もあるだろうが、この財団の活動も大きな役割を果たしているように思われた。

 また、資本主義経済への移行、EUへの加盟など経て、ある程度の安定期を迎えたこの時期において、ポーランドという国、地域、社会の歴史自体が、アーティストに対し、過去の見直し、問い直しを今までにも増して要請しているようにも思われた。このことについては、いつか稿を改めて考えてみたい。



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ワルシャワについた翌日は、与党「法と正義」が提出した人工妊娠中絶をほぼ全面的に禁止する法案に反対する、大規模抗議デモが行われていた日だった。黒い服に身を包み、プラカードを持ち、時には違法な堕胎の象徴であるハンガーを手にした人たちが与党本部前に集まっていた。

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ワルシャワ旧市街。13世紀に建設されるが、第二次世界大戦で廃墟と化した。18世紀に描かれた写生画などをもとに、レンガなども再利用し、隅々まで入念に再建されて今にいたる。

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かつてユダヤ人地区街であったムラヌフ地区に建設されたポーランドユダヤ人歴史博物館(POLIN)。ポーランドでは1264年にユダヤ人の権利と安全を保障した「カリシュの法令」が発布されるなど、東欧のなかでも最も多くのユダヤ人が暮らし、共存していた。


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by curatory | 2017-06-30 09:16 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真6 Contemporary Photography in Colombia       参考リンク

ブログで取り上げた写真家:

Erika Diettes
Jorge Panchoaga
Karen Paulina Biswell
Guadalupe Ruíz
Mateo Garcia Gomez
Juan Orrantia 
Camilo Echavarría
Mateo Pérez
Oscar Muñoz
Miguel Ángel Rojas
Victor Robledo 
Santiago Harker 

その他の写真家/アーティスト:

Juan Manuel Echavarría
Adriana Duque
Jesús Abad Colorado
Ivan Herrera
Juan Fernando Herrán
Ana Adarve
Fernando Cano
Andres Sierra
Libia Posada ”Signos Cardinales"
Clemencia Echeverri


ウエブサイト:

Fototazo 
コロンビア、メデジン在住のアメリカ人写真家、エデュケーターのトム・グリッグスが立ち上げたノンプロフィット団体。HPの運営だけでなく、コロンビアの若手写真家たちに世界に開かれた機会を提供すべく、機材購入のための奨学金を提供したり、アメリカでの個展開催などのプログラムを組んでいる。ラテンアメリカの写真家の紹介やインタビュー、批評などを英語にて発信している。

Little Brown Mushroom(LBM) - What is happening in contempory Colombian photography?
アメリカ人写真家のアレック・ソスがミネソタで運営しているアート・インスティテューションのHP。トム・グリッグスと協力して、コロンビアの現代写真に何が起こっているかについての情報を共有しようとしたサイト。
ソスはコロンビアのボゴタ出身の養女を迎えた縁から、娘が生まれた町を記録に残しておこうと、2003年に、ボゴタの町や風景、人々を集中的に撮影している。

BIENAL INTERNACIONAL
FOTOGRÁFICA BOGOTÁ - FOTOMUSEO
 
コロンビアの首都ボゴタで隔年に開催される写真フェスティバル。

Fotomeraki
コロンビアの若手写真家による写真プロジェクトを紹介するウエブサイト。

La Media Vida
どちらかといえばドキュメンタリー系のコロンビアの写真家の作品を紹介するウエブサイト。

Fotología
2002年にボゴタで始まった写真祭。確か2005年に日本の写真特集をするというので、ディレクターの方が日本にリサーチに訪れていたときに、偶然ツァイトフォトで出会った覚えがあるが、現在は休止している模様。


展覧会:

Fourth World: Contemporary Photography in Colombia
2015年にSan Francisco Cameraworkで開催されたコロンビアの現代写真を紹介する展覧会。Jaime Ávila、Zoraida Díaz、Luz Elena Castro、Andres Felipe Orjuelaらが紹介されている。


書籍:

La Silueta
アーティストブックなどをたくさん出しているボゴタの出版社

『AMERICA LATINA, 1960–2013』2013年
2013年から14年にかけて、メキシコのMuseo Amparoと、パリのカルティエ現代美術館で開催された、1960年代から今日にいたるまでのラテンアメリカの70人の写真家を紹介した展覧会カタログ。写真とテクストの関係に焦点を当てている。

『Mapas Abiertos Fotografia Latinoamericana 1991-2002』2003年
スペインのキュレーターAlejandro Castelloteによって企画された展覧会のカタログ。展覧会はヨーロッパとラテンアメリカで同時に開催された。アイデンティティ、ランドスケープ、歴史に対する批判的視点などがテーマとなった。

『Image and Memory: Photography from Latin America, 1865-1992』
ヒューストンで毎年開催されるているFotofest で、1992年にラテンアメリカの写真がフォーカスされたときに出版された写真集。1000点以上の写真が紹介されている。

『Romper los Márgenes: Encuentro de Fotografia Latino Americano』
1993年にヴェネズエラで開催された展覧会(curated by José Antonio Navarrete)のカタログ。


論文:

Mediating Suffering: Photography and the Colombian War written by Ruben Yepes
内戦とそれによるトラウマのなか、コロンビアの写真家、アーティストがどんな作品を創り上げているかを分析した論文。Jesús Abad Colorado、Libia Posada、Miguel Ángel Rojas、Oscar Muñozなどが取り上げられている。















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by curatory | 2016-06-03 23:05 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真5 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 Oscar Muñoz 「Narcisos」シリーズより

Oscar Muñoz (1951-)
 ここまでコロンビアの若手から中堅のアーティストを取り上げてきたが、次に1950年代前後に生まれたベテランの世代を紹介したい。この世代は「写真家」といえばジャーナリズムで発表するような写真家が主だったため、それ以外は写真も用いるアーティストというような位置づけが多いようだ。そのなかでも、写真に大きな比重を置いているのが、今回の海外作家賞を受賞したオスカー・ムニョスだ。ムニョスは1970年代より、写真を用いたハイパーリアルなドローイング作品の制作をはじめている。写真のみならず、フィルム、彫刻、インスタレーションなどによる制作を行っているが、現実との関係性や意味生成のあり方から、ムニョスにとって写真は中心的な位置を占めているという。世界各地を巡回した「Protographs」展も、「原-写真」という観点からこれまでの作品をまとめている。水のなかに消えていく顔、息をふきかけた間だけ像が浮かび上がる写真、描けども描けども消えていく水で描いたデッサンなど。生のはかなさや、記憶と忘却についてを想起させる作品だ。詳しくは東川賞受賞作家紹介のページを参照のこと。

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 展覧会「Protographies」(Jeu de paume、パリ、2014年)のカタログ表紙


Miguel Ángel Rojas (1946-)
 ミゲル・アンゲル・ロハスは自らのゲイとしてのマージナルで主観的な経験や、アイデンティティ、政治といった事柄を、コンセプチュアル、マルチメディアの手法によって作品化している。1973年に制作された 「Fraenza」シリーズは、ボゴタにあるB級映画館でのゲイ達のあいびきの様子を隠し撮りした作品。暴力に満ちたマッチョな社会において、ゲイであるということは時にはむごたらしい死をもたらすことでもあった。ロハスはそうした影の存在に光を当てるとともに、恐怖と欲望が裏表の関係にある人間の性のようなものを、アメリカンポップやコミックの手法を引用することによって、隠喩的ともいえる形で提示する。内戦で片足を失った元兵士を、ミケランジェロのダビデ像のような形で撮影した「David」(2005年)も、美と醜、恐怖についてや、それを美術作品として購入したいと思わせる欲望についてなど、様々なことに思いを馳せさせる作品だ。

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 Miguel Ángel Rojas 「Fraenza」シリーズより
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 Miguel Ángel Rojas 「David」展示風景
 上下とも『Miguel Ángel Rojas : essential, conversations with Miguel Ángel Rojas』より転載


Victor Robledo (1949-)
 グアダルーペ・ルイスが展示を行っていたギャラリーのオーナーから、写真を用いたアーティストといえばこの人と推薦されたのがヴィクター・ロブレドだ。ボゴタのロス・アンデス大学にて建築を学んだロブレドは、1970年代から光、空気、水といったものをテーマに、抽象性の高い独自の作品を発表し続けてきた。ムニョスやロハスが写真を用いながらも、他の手法も取り入れるなどマルチメディアによる制作をしているのに対し、ロブレドは写真だけを用いている点において、(ドキュメンタリー写真家をのぞいて)コロンビアではあまり類をみない存在だと本人も語っていた。光と影が空間のなかに織りなす陰影をとらえながら、現実の表象というよりは、光がいかに時間の感覚や感情に影響を及ぼすかという、観者が光を観察する内的なプロセスを重要視した繊細な作品を制作している。ガラスを用いた非常に繊細で構築的な作品を前に、高松次郎の作品を思い起こさせもした。主に室内における実験的な写真の数々を前に、戸外での撮影は行わないのかと尋ねたところ、少し前までのボゴタにおいて、大型カメラをかついで戸外で撮影をすることなど危険すぎたという答えが返ってきたことが虚を突かれる思いだった。

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 Victor Robledo 「Constructions」シリーズより
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 Victor Robledo 「Mirages」シリーズより


Santiago Harker (1951-)
 サンティアゴ・ハーカーは、ドキュメンタリー写真を代表するとされる写真家だ。ゲリラやパラミリタリーの支配によって、普通ではなかなか行くことの難しいようなコロンビアの各地を実際に自分の足でまわって風景や人々の撮影を続けている。ニュース的な状況ではなく、光と影や、色彩による独自の美学で切り取られた写真はオーソドックスともいえるが、手堅さがうかがえる。「Colombia Sideways」シリーズでは、それまでに撮影してきた場所の多くが、1850年代にイタリア人傭兵のアグスティン・コダッツィ(Agustin Codazzi)が、地学者、自然科学者、文筆家、画家たちを引き連れて、コロンビアの地誌作成のために行ったコミッションでたどった場所と共通するところが多いことに気がつき、当時作成された絵画と対比的に写真を見せる試みを行っている。同じような服装や、状況など、主に類似の妙を示すにとどまっている写真も多いが、おそらく時間を経てみてみると、あまり写真に撮られることもなかった地域の貴重な記録になっているのではないかと思われる。近年ではコロンビア政府と南米最大の反政府ゲリラ組織FARC(コロンビア革命軍)の和平交渉のドキュメントを撮影するプロジェクトに参加するなど、精力的に活動を続けている。

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Santiago Harker  「Colombia Sideways」シリーズより



 今回は特に手探りのような状態からコロンビアの写真家を探すなか、写真家を含め、たくさんの方々に協力してもらった。東川フェスでは受賞作家一名を紹介することしか叶わないことがもどかしい。資料を準備し、貴重な時間を割いて作品について話していただいた写真家の面々に対するこちらからのフィードバックの意味もこめて、日本ではほとんど紹介される機会もなく、情報を得ることも難しい写真家を紹介させてもらった。いただいた貴重な資料も、もっと多くの人の目に触れるような機会を積極的に設けていかねば。
 東川に常設写真ライブラリーができて、フェスティバルに際して写真の町通信だけでなく、もう少しカタログ的な要素もある冊子ができればと、切に思う。























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by curatory | 2016-06-03 23:04 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真4 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 Juan Orrantia 「Sugarcoated Blues」シリーズより

Juan Orrantia (1975-)
 ボゴタに育ち、現在はヨハネスブルク在住のフアン・オランティアも、ミドルクラス出身の自分の体験に根差したコロンビアでの日常を写真を通して作品化した「Sugarcoated Blues」(2013-)を制作している。イエール大学でビジュアル文化人類学、ICPで写真を学んだフアンは、記憶、歴史、暴力の余波、ポストコロニアルな都市と生活における影響などをテーマにプロジェクトを続けている。コロンビアは1970年代からの三十余年にわたる麻薬カルテルを中心とした大規模な麻薬取引のなかで、麻薬にまつわる事象が社会的、文化的、経済的、政治的な身の回りの様々な出来事を支配してきたといえる。街角でふいに起こるテロ、誘拐、性的暴力など、そうしたものが平準化し、身体化するなかで青春時代を過ごしたフアンは、それらが文化や社会に及ぼした影響がどういうものだったかを、写真のもつあいまいさや親密さ、多義性を用いながら、詩的ともいえる手法で物語ろうとする。コカの一大産地であり、有名なパラミリタリーのリーダーの縄張りであった、コロンビア北部シエラ山地の小さな農村を訪れたときの写真や、たくさんの死者を出したテロを報じる新聞の切り抜き、セクシーな女性のピンナップや、日記風のものなど、単一の因果では語ることのない縒り合さった状況を、複数の章立てと手法とで提示している。イブニングニュースを飾るようなテロや、世界中でも注目される麻薬王エスコバールの存在などが、若者が映画館に行き、車に興味をもつのと同じような次元の身近なものとして日常にある―そうした状況をあらわすのに、物事を並列的に掲示することのできる写真は格好のメディアだったのだろう。個人的な経験にこだわりながらも、それをより大きな枠組みからとらえ直そうとする彼の視線はしなやかだ。

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 Juan Orrantia 「Sugarcoated Blues」シリーズより


Camilo Echavarría(1970-)
 カミーロ・エチャバリアは、「風景」にとって、それを観察する「人」はなくてはならない存在であるということから、風景における主観性や理想主義の問題を意識した作品を制作している。コロンビア的なるものというものとは少し距離を置いたところで、コロンビアの「風景」をとらえようとしている作家だ。現在進行中のプロジェクトである「Illustrated Landscapes」は、幼少期に両親に連れられてコロンビアの様々な地方を旅したときに受けた強い印象や記憶を出発点に、自身の記憶の問題だけにとどまらず、風景を前にして受け取った身体的な感覚や記憶を、写真のなかにいかに取り込めるかということをテーマとしたものだ。そのため、写真が撮影された一瞬だけに特権を与えるのではなく、事後的に人物や人為を感じるものを風景のなかに加えることによって、現実には存在しないが、その場所での経験を通じて感じられた、「理想」の風景を構築しようとする。それはカミーロにとっての理想ということだけでなく、「風景」をめぐっての崇高や美学的な理想の概念についての歴史もふまえた上でのことだろう。そして、人に観察されることによってはじめて「風景」というものが存在するようになることから、観察する「時間」性もそこには必要とされる。カミーロはあらゆる細部に目を凝らすことができるようにとプリントのクオリティに細心の注意を払うほか、写真をつなぎ合わせることによって時間を組み込んだビデオ作品を制作するなど、観察にかけられる時間のなかで深まる経験のあり方を作品においても重視している。

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Camilo Echavarría 「Illustrated Landscapes」シリーズより


Mateo Pérez (1973-)
 マテオ・ぺレスは広告や建築写真も手掛ける写真家だが、自身の作品として、コロンビアにおける社会的風景とでもいえるようなものをテーマとした作品を制作している。「Tequendama Falls」は、ボゴタ郊外にあるコロンビアで最初の入植地でもあり、観光地としても有名でありつつも、ボゴタからの排水の溜め桶として汚染された場所になり果て、自殺の名所としても有名になったテケンダマ滝に関するプロジェクトだ。「Terrarium」シリーズは、カリブ海のけがれなき楽園としてリゾート地としても注目を浴び始めたコロンビア領プロヴィデンシア島に打ち捨てられた車の残骸をとらえたもので、イメージと現実のギャップを提示するとともに、廃棄する施設も存在しない島の暮らしの一端をうかがわせるものである。
 カミーロもそうだが、マテオもアメリカで写真を学んでおり、アカデミックともいえる写真の手法を介してコロンビアにおける「風景」の問題に取り組んでいる写真家といえるだろう。

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 Mateo Pérez 「Tequendama Falls」より
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 Mateo Pérez 「Terrarium」シリーズより


























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by curatory | 2016-06-03 23:03 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真3 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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 Karen Paulina Biswell 「nama bu」シリーズより

Karen Paulina Biswell (1983-)
 カレン・ポリーナ・ビズウェルの「nama bu」(we exist)シリーズも、コロンビアの原住民に焦点を当てたシリーズだ。カレン自身は原住民の出自ではないが、カリブ海の小さな島に生まれ、90年代初頭のコロンビアの混乱を逃れ、7歳から15歳までフランスで政治難民として生活し、その後ソルボンヌ大学で美術史を学んでいる。カレンはギリシア神話のレダに題をとったシリーズや、女性のポートレイトなど、フェミニニティを巡っての作品を作っている。
 「nama bu」は、カレンが2012年にボゴタの路上で出会った、先住民族Embera Chamisの家族を撮影したシリーズで、私のボゴタ滞在中にちょうどギャラリー(Valenzuela Klenner Galería)で展覧会を開催していた。トムによると、ボゴタの繁華街の路上で民芸品などを売っている人たちにこの部族出身者がよくいるとのことだった。展示は、コロンビア共和国の黄金時代に建てられたというドランテス・ホテルで民族衣装や独自の化粧を施した家族を撮影したポートレイトや、彼等の祖先がかつては住んでいたような深い森を写した写真、葉っぱや果物などを小道具に、被写体と一緒になって作りあげた写真などからなる三部構成になっていた。カラフルで遊び心のあるようなセッティングにも関わらず、写されている人物の表情は固いとも、無表情ともいえるもので、口に草を詰め込んで何もしゃべれない状況になったものもある。ホルヘの写真にもあったような、森のなかの棲んでいた家を追い出され、ボゴタのような都会で、根なし草のように、蔑まれながら生きていかざるをえない家族たちの哀しみと、本来あったはずの生活とのギャップとがそこに表れているように思われた。

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 Karen Paulina Biswell 「nama bu」、「Embera-Chamis」シリーズより


Guadalupe Ruíz (1978-)
 グアダルーペ・ルイスの「BOGOTA D.C.」(2011)シリーズも、住まう場所、家をテーマとした作品だ。ボゴタ市では税金の納付率によって6つの地区に分けられるのだという。グアダルーペはそれぞれの地区から一つずつ家を選び、部屋の内装、家具、家から見た外の様子、外観などを撮影した。壁に飾られた写真や絵画、ベッドルーム、インテリアなど、それぞれの家族の生活を垣間見せるとともに、スラムから高級住宅まで、ボゴタの6つの階層の家が展観されることで、ボゴタという都市のポートレイトにもなっている。面白いのは、社会的な階層による相違点が浮かび上がるだけでなく、どの家にも祭壇のスペースが設けられていたり、カラフルな壁面など、共通点も見えてくることだ。
 彼女には他にもボゴタに住む自身の家族を撮影したシリーズ「NADA ES ETERNO」がある。ラテンアメリカの風土では、家族の絆がとても大事にされている。ドラッグや危険な国というステレオタイプでは語り切れないボゴタの町を「BOGOTA D.C.」でとらえようとしたのと同じように、このシリーズでも幸せ、陽気さといったイメージではとらえきれない、自分にとっての家族のあり方を、女性と男性のギャップを引き立てたユーモラスともいえる形で浮き上がらせている。グアダルーペはボゴタ出身だが、現在はスイスで活躍している。そうした外からの視線の産物ともいえそうなのが、ニューヨークのビル、ボゴタのアパート、マヤのピラミッドなどを百科事典的に並列した近作の「KLEINE FOTOENZYCLOPEDIE」シリーズだ。ビルの写真なかに、カラフルなスナック菓子の写真なども入っていたりと、雑多な印象もするなかに、ユーモアと批評性がうかがえる。

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 Guadalupe Ruíz 「BOGOTA D.C.」より
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 Guadalupe Ruíz 「NADA ES ETERNO」より
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 Guadalupe Ruíz 「KLEINE FOTOENZYCLOPEDIE」より


Mateo Garcia Gomez(1988-)
 同じく、コロンビアにまつわる暴力とドラッグといったステレオタイプとは距離をとった視点から、コロンビアの文化や社会をとらえようとするのがマテオ・ガルシア・ゴメスだ。ボゴタはラテンアメリカでも6番目に物価の高い都市だといわれ、大半はその郊外に暮らしている。「A Place to Live」シリーズは、マテオも10数年住んでいる静かでのんびりとした郊外の町La Caleraが、都市の拡張による人口増加によって、ショッピングモールの建設計画が進むなど、大きく変貌しようとする様をアイロニカルな視点から記録したもの。現在では、どこかコミカルな日常のストリートスナップを撮った「In Colombia」(2014-)や、室内の監視カメラやアメリカ軍といったセキュリティにまつわる風景を、1920年代に撮られた祖母の写真とともに紡いだ「Security Icons」(2013-)に取り組んでいる。あくまでも日常の風景のなかに、コロンビア的なるものや、アイデンティティの問題がどう表れているかを探ろうとするマテオのプロジェクトは意欲的なものだ。

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Mateo Garcia Gomez 「A Place to Live」シリーズより






























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by curatory | 2016-06-03 23:02 | 海外作家賞
2016年 06月 03日

コロンビアの写真2 Contemporary photography in Colombia       困難な歴史を抱えて

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Erika Diettes 『Sudarios』の展示風景

 ここ数年、海外作家賞の対象国がフィンランド、ニュージーランドと続くなかで、ポスト・コロニアリズムを意識したアーティストの作品にたくさん触れてきた。コロンブスに由来する国名をもち、スペインの植民地としての時代を経てきたコロンビアでも、そうしたポスト・コロニアリズムやクレオール性をテーマとしたアーティストが多いかと思っていたが、そうした作家もいるものの、事情はかなり違っているように思われた。1980年代、90年代をピークとするコロンビアの内戦が引き起こした様々な出来事が及ぼした影響は多大だ。テロや暴力による生命の危険や死が非常に身近なものとして常に感じられていたこと、また、外からの人が危険を恐れてコロンビアにやってこないため、コロンビア内での閉鎖的なコミュニティが形成されていったこと(海外へ出ていかざるを得なかった人たちも多い)などがまずは挙げられるだろう。
 コロンビアでは近年ようやく和平合意に至りつつある政府とゲリラ軍との半世紀以上にわたる抗争と、それによって引き起こされた様々な困難が、アーティストを含め、そこに暮らすすべての人々の日常生活を幅広く支配してきた。1946年、保守党政権が誕生すると、政権による自由党に対するテロが繰り広げられ、1948年、自由党派の市民と保守党派の市民が衝突する「ボゴタ暴動」が発生。以降、1950年代末までの10数年は「ラ・ビオレンシア」(暴力)と呼ばれる暴力が蔓延する時代となり、死者は20万人にも及ぶという。その後もキューバ革命(1959年)の影響によるコロンビア革命軍(FARC)や、左翼ゲリラが地方を拠点に勢力を築き、麻薬王パブロ・エスコバルに代表されるような麻薬カルテルや、そこから資金援助を受けたゲリラ抗争も加わって、1980年代、90年代をピークに、内戦、誘拐、殺戮、爆破、地雷などがコロンビアに住む人々の日常を支配するようになった。
 こうした身近に蔓延する死や喪失について、直接的あるいは間接的にテーマにした作品を制作しているアーティストが多いのが印象的だ。2014年に第9回ヒロシマ賞を受賞したドリス・サルセドも、ボゴタ在住の現代美術家で、日常的に使われる家具などを用いて、暴力により姿を消していった犠牲者を悼む作品を制作している。
 以下、東川賞海外作家賞2016へのノミネート作家を中心に、コロンビアの写真家/アーティストを紹介していきたい。まずは若手、中堅作家から。

Erika Diettes(1978‐)
 国際的な発表の機会も多いエリカ・ディーテスは、内戦で犠牲になった被害者やその家族に焦点をあてた作品を作っている。大学で文化人類学を学んだエリカは、ホロコーストを逃れてコロンビアにやってきたユダヤ系の出自をもつパートナーの縁から、コロンビアにおけるユダヤ人コミュニティを取材し、ホロコーストの犠牲者が記したノート、ポートレイト、過去の写真などをディプティック形式で提示した作品「Silencios」(2005)を修士課程の卒作として制作した。ホロコーストについて考えるなか、コロンビアにおけるビオレンシアの歴史に向き合わざるを得なくなり、消息を絶った犠牲者の遺族とコンタクトをとり、生み出したのが「Rio Abajo / Drifting Away」(2008)シリーズだ。このシリーズでは、政治抗争によって命を奪われた人々の遺品を遺族から預かり、水のなかに浮かべて撮影している。ゲリラやパラミリタリー(準軍事組織)によって殺害された被害者は、川に流され、遺体も発見されることなく葬りさられることが多いという。透明な水のなかで、明るくゆらめく光を受けてたゆたう服は、透明性が際立つガラスを支持体に、実物よりも大きいサイズの写真に引き伸ばされている。恐怖に満ち凄惨であったに違いない末期を、清らかで安らかなものへと変転させ、死を弔おうとする意図がそこにはある。最初の展示は、遺品を提供してもらった遺族に見てもらおうと、手に取れる大きさのプリントを現地に持っていき、ろうそくの光で捧げみるような形になったようだ。次のシリーズ「Sudarios / shrouds」(2011)では、「Rio Abajo」を制作する過程で知り合った、目の前で家族が殺害され、その恐怖を人々に語るための生き証人として生かされた被害者家族を撮影している。心理カウンセラーとともに、撮影用に設えたスタジオで、生かされた家族からそのときの話を聞き、記憶のなかで出来事が再演され、過去の記憶に没入したような瞬間をとらえた写真には、目が閉じられたポートレイトが多い。「Sudarios」は死者を包む白布を意味するが、作品も薄いシルクにプリントされ、展示場所は主に教会などの場所が選ばれる。非常にコロンビア的といえる主題だが、エリカはそれをコロンビアの文脈だけで理解されるものとしてではなく、「喪失の痛み/悼み」という誰もが当事者として受け取り得るものとして、抽象性を高めることによって提示しようとしている。

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Erika Diettes 『Sudarios』 アーティストブック  薄い絹に印刷された写真が表紙になっている。
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Erika Diettes 「Rio Abajo / Drifting Away」より
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「Rio Abajo / Drifting Away」の写真を手に、ろうそくの光で見入る被害者の親族を含めた観者


Jorge Panchoaga (1984-)
ホルヘ・パンチョアガの「La Casa Grande (The Big House)」シリーズは、自身もオリジンを同じくするカウカ州の山岳地帯に住む先住民の人々の日常生活や、そのアイデンティティを形作るコミュニティ、家、家族、文化遺産に焦点を当てたものだ。カウカ州は先住民族が多く住み、植民地時代も安価な労働力として支配されていたが、その後の内戦の時代もコロンビアのなかでももっとも武力抗争が激しかった土地で、居住者の多くは強制移住を強いられてきた。この地方でもこれまでに70万人ほどが居住地を離れざるをえなかったというが、コロンビアの国内難民はシリアについで世界第二位の約604万人(2014年)で、その多くがコロンビア革命軍(FARC)と政府軍が繰り広げる内戦から逃れた住民たちなのだという。
 だが、ホルヘはそうした事情を直接的にとりあげることはしない。深い森のなかで、満天の星に見守られるなか、柔らかな光を内側から漏れ出させながらひっそりとたたずむ家。原住民たちは内戦がおこる以前から契約書にだまされてサインをし、強制的に家を追い出されるという状況に頻繁に直面してきた。自分たちの家に住み続けるということ自体が、抵抗の証でもある。カメラオブスキュラの原理を用いて撮影された部屋の内部には、内と外が分かちがたく融合した穏やかで新たな世界が再構築されている。社会の最小単位であり、安楽の場、知識や記憶が受け継がれる場、そしてサバイバルの基本としてある家は、それだけで独立しているものではなく、それを取り囲む自然、コミュニティ、宇宙の一部として存在している。ホルヘは家系図や、アイデンティティ、テリトリーについてのスケッチを作り、写真だけでなく動画や音声を用いた様々なシリーズをそこから分岐させることで、壮大な抒情詩のようなものをそこに作りあげようとしている。

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Jorge Panchoaga 『La Casa Grande』シリーズより

















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by curatory | 2016-06-03 23:01 | 海外作家賞